土曜日
ネブで朝の4時まで呑んでしまった。
ちょっと呑みすぎた。
日曜日
朝の8時に横浜の実家の父からの電話に起こされる。
「勘弁してくれ~」
父は77歳になった今でも、
毎日朝の4時ぐらいに起きてから酒を呑みだす「呑んベエ」だ。
「朝早くの電話はいい話しでは無いと言いますが~」
と言う父から金沢の伯父が亡くなったと聞く。
寝不足でぼんやりするオレを尻目に
「じゃあ、東京方面の代表で行ってきますから」
と父はサッサと電話を切った。
あんた、そう言えば2週間前に金沢言って来たばかりんね~けぇ?
ぼんやりした頭で
「行かなくちゃいかんなぁ・・・」と考え出す。
よし、行こう!
月曜日は会社を休んで、仮通夜に同席しよう。
すぐに父に連絡して行くことを伝える。
父の希望(わがまま)で東海道新幹線の新横浜乗車して米原経由で行くことに。
そして早速これ!
旅ってのはこうじゃなきゃ。
飛行機では味わえない旅の楽しみ。
んっ、、、
父の新幹線を希望した理由はこれだったのか??
米原で無事乗り換えて19時ごろ金沢着。
7,8年ぶりの金沢駅は自分が知らない真新しい駅だった。
オレ「そー言えば、昔の駅前ビルの地下にあったおでん屋残っとるかなぁ」
父「お~、金沢来ると~ぉ、寄っとったなぁ」
オレ「どて焼きが旨かったいね」
父「行ってみるか?」
オレ「えぇ~あるかなぁ」
父「みんなになにしに来たんやって怒られるかなぁ」
オレ「仮通夜やし、時間が決まっとるわけじゃないやろうから、いいかぁ」
そして、
その呑み屋を捜したら、、、
ありました!
おでんと季節料理の店「黒百合」
昔の下世話な雰囲気はすっかり無く、
観光客相手の小ぎれいな駅構内の店になってました。
そしてこうなります。
金沢おでん「焼きとうふ」と「がんも(ひろず)」は金沢だけの味。
ちょっと見づらいけど奥にあるのは「どじょうの蒲焼」
これも金沢の味。
で、さらに
手前が「ふぐの粕漬け」で奥が「どて焼き」。
「ふぐの粕漬け」はお酢を垂らしていただきます。
「どて焼き」は豚バラとこんにゃくを串に刺して熱い白味噌にドボッと漬けておく。
うめぇうめぇ。
おいしがいねぇ~!
軽く30分ほど呑んで、喰ってようやく伯父が眠る金石(かないわ)の
父の実家へタクシーで移動。
それからが大変だった。
伯父の布団の横で、ほとんど寝ないで朝まで呑み明かし。
2時間ほど寝て、ガーガー眠る父を置いて散歩に出かける。
その日は金沢も20度ぐらいまで気温が上がってイイ天気。
子供のころ、散々遊んだ金石の町を、
自分の故郷、
自分のルーツを確かめてみたかったんだ。
金石の町はなにも変わってないなぁ。
金石(かないわ)は港町。
漁師町です。
この家なんか、本当に昔のまんまやいねぇ。
そう、この広くなったあたりに車を停めて左側の路地の奥に入っていくと
父の実家だった家があったんだ。
路地を入って行ってみたら、
その場所には小ぎれいな他の家が建っていて元の実家は無くなっていた。
海まで走っていくと2~3分の場所にあったから、
夏休みのころは水着のまま従兄弟たちと海に行ったり来たり。
家の前の井戸端にはスイカが冷えていて、
それを切ってもらって7~8人の従兄弟たちといっしょにかぶりついた。
夏祭りはここを起点に夜の縁日目当てに出かけていく。
楽しかった想い出だな。
子供のころ、ドキドキしながら中を覗いた地蔵堂はきれいになってた。
浜は見る影も無く汚れていて、
何のための工事をやっているのか大部分が立ち入り禁止。
伯父に釣りに連れて行ってもらった防波堤にも誰もいない。
ここで海水浴をしていたなんて・・・。
よく買いにやらされた豆腐屋も無くなってた。
金沢は基本的に「絹ごし豆腐」で「やっこ豆腐」は
和からし(粉を練ったからし)と醤油でいただくのです。
醤油は甘口の「大野の醤油」ね!
大野湊神社
祭りの神輿はここから出て、
酒に酔った担ぎ手たちに海の中に入れられたり、
全速力で走りまわされて観客人の群れの中に激突したり、
担ぎ手たちが喧嘩をしている間は道に放置されたり。。。。
港の漁師町の祭りだから荒っぽい荒っぽい。
そして、やっぱりこれ!
金沢のうどん。
「いなりうどん」
揚げは「刻み」じゃないと「いなりうどん」とは言えない。
ネギも青ネギじゃないとね。
そして「なんば(南蛮)」は「七味」じゃなくて「一味唐辛子」でないと。
子供のころカキ氷が食べたくってよく行った
「加登長」は無くなってたので、散歩中に見つけた適当な店で喰った。
400円!安い!
(しかしその後「お多福」を見つけて地団太を踏むことに・・・)
こうして、
短い時間だったが自分のルーツを確認できました。
とっても大切なもの、大事なものがそこにはあったよ。
近い将来取り戻せる日が来るんだろうか。
20年ぶりぐらいに父と二人っきりで出かけた短い旅立ったが、
やっぱり行って良かった。
これが最後だろうと思う。
そして父が金沢に行くのも最後なんだろうか。
本人はそう考えている様子も感じた。
伯父が呼んでくれた金沢での短い時間。
自分のルーツめぐり。
ネブで朝の4時まで呑んでしまった。
ちょっと呑みすぎた。
日曜日
朝の8時に横浜の実家の父からの電話に起こされる。
「勘弁してくれ~」
父は77歳になった今でも、
毎日朝の4時ぐらいに起きてから酒を呑みだす「呑んベエ」だ。
「朝早くの電話はいい話しでは無いと言いますが~」
と言う父から金沢の伯父が亡くなったと聞く。
寝不足でぼんやりするオレを尻目に
「じゃあ、東京方面の代表で行ってきますから」
と父はサッサと電話を切った。
あんた、そう言えば2週間前に金沢言って来たばかりんね~けぇ?
ぼんやりした頭で
「行かなくちゃいかんなぁ・・・」と考え出す。
よし、行こう!
月曜日は会社を休んで、仮通夜に同席しよう。
すぐに父に連絡して行くことを伝える。
父の希望(わがまま)で東海道新幹線の新横浜乗車して米原経由で行くことに。
そして早速これ!
旅ってのはこうじゃなきゃ。
飛行機では味わえない旅の楽しみ。
んっ、、、
父の新幹線を希望した理由はこれだったのか??
米原で無事乗り換えて19時ごろ金沢着。
7,8年ぶりの金沢駅は自分が知らない真新しい駅だった。
オレ「そー言えば、昔の駅前ビルの地下にあったおでん屋残っとるかなぁ」
父「お~、金沢来ると~ぉ、寄っとったなぁ」
オレ「どて焼きが旨かったいね」
父「行ってみるか?」
オレ「えぇ~あるかなぁ」
父「みんなになにしに来たんやって怒られるかなぁ」
オレ「仮通夜やし、時間が決まっとるわけじゃないやろうから、いいかぁ」
そして、
その呑み屋を捜したら、、、
ありました!
おでんと季節料理の店「黒百合」
昔の下世話な雰囲気はすっかり無く、
観光客相手の小ぎれいな駅構内の店になってました。
そしてこうなります。
金沢おでん「焼きとうふ」と「がんも(ひろず)」は金沢だけの味。
ちょっと見づらいけど奥にあるのは「どじょうの蒲焼」
これも金沢の味。
で、さらに
手前が「ふぐの粕漬け」で奥が「どて焼き」。
「ふぐの粕漬け」はお酢を垂らしていただきます。
「どて焼き」は豚バラとこんにゃくを串に刺して熱い白味噌にドボッと漬けておく。
うめぇうめぇ。
おいしがいねぇ~!
軽く30分ほど呑んで、喰ってようやく伯父が眠る金石(かないわ)の
父の実家へタクシーで移動。
それからが大変だった。
伯父の布団の横で、ほとんど寝ないで朝まで呑み明かし。
2時間ほど寝て、ガーガー眠る父を置いて散歩に出かける。
その日は金沢も20度ぐらいまで気温が上がってイイ天気。
子供のころ、散々遊んだ金石の町を、
自分の故郷、
自分のルーツを確かめてみたかったんだ。
金石の町はなにも変わってないなぁ。
金石(かないわ)は港町。
漁師町です。
この家なんか、本当に昔のまんまやいねぇ。
そう、この広くなったあたりに車を停めて左側の路地の奥に入っていくと
父の実家だった家があったんだ。
路地を入って行ってみたら、
その場所には小ぎれいな他の家が建っていて元の実家は無くなっていた。
海まで走っていくと2~3分の場所にあったから、
夏休みのころは水着のまま従兄弟たちと海に行ったり来たり。
家の前の井戸端にはスイカが冷えていて、
それを切ってもらって7~8人の従兄弟たちといっしょにかぶりついた。
夏祭りはここを起点に夜の縁日目当てに出かけていく。
楽しかった想い出だな。
子供のころ、ドキドキしながら中を覗いた地蔵堂はきれいになってた。
浜は見る影も無く汚れていて、
何のための工事をやっているのか大部分が立ち入り禁止。
伯父に釣りに連れて行ってもらった防波堤にも誰もいない。
ここで海水浴をしていたなんて・・・。
よく買いにやらされた豆腐屋も無くなってた。
金沢は基本的に「絹ごし豆腐」で「やっこ豆腐」は
和からし(粉を練ったからし)と醤油でいただくのです。
醤油は甘口の「大野の醤油」ね!
大野湊神社
祭りの神輿はここから出て、
酒に酔った担ぎ手たちに海の中に入れられたり、
全速力で走りまわされて観客人の群れの中に激突したり、
担ぎ手たちが喧嘩をしている間は道に放置されたり。。。。
港の漁師町の祭りだから荒っぽい荒っぽい。
そして、やっぱりこれ!
金沢のうどん。
「いなりうどん」
揚げは「刻み」じゃないと「いなりうどん」とは言えない。
ネギも青ネギじゃないとね。
そして「なんば(南蛮)」は「七味」じゃなくて「一味唐辛子」でないと。
子供のころカキ氷が食べたくってよく行った
「加登長」は無くなってたので、散歩中に見つけた適当な店で喰った。
400円!安い!
(しかしその後「お多福」を見つけて地団太を踏むことに・・・)
こうして、
短い時間だったが自分のルーツを確認できました。
とっても大切なもの、大事なものがそこにはあったよ。
近い将来取り戻せる日が来るんだろうか。
20年ぶりぐらいに父と二人っきりで出かけた短い旅立ったが、
やっぱり行って良かった。
これが最後だろうと思う。
そして父が金沢に行くのも最後なんだろうか。
本人はそう考えている様子も感じた。
伯父が呼んでくれた金沢での短い時間。
自分のルーツめぐり。