これほど好きだったアニメは未だに無い。
オレが小5か小6の頃、リアルタイムで放送していたアニメだ。
かの巨匠「手塚治虫」の原作と言うことになっているが、同名のコミックとは設定こそ同じだがまったく別の作品。
つまり手塚先生は「原案」であって、このアニメの原作者とは言いがたい。
なんでも、手塚先生はアニメ化には反対していたそうで、なのに当時虫プロにいた西崎義展氏が無理やり無断でアニメ化してしまった。
虫プロから勝手に持ち出してしまった、というわけか。
知ってる人は知ってるでしょうが、西崎義展氏はあの「宇宙戦艦ヤマト」のプロデューサーで名を馳せた方。
薬かなんかに手を出して逮捕されて、アニメ界から追放状態になったのは記憶に新しいが、
その虫プロ~西崎氏の系図の中から、スタジオジブリの宮崎駿氏、そしてジブリからエバンゲリオンの庵野氏が出てくることになる。
ヤマトのロールを見ていると、ただの原画マンとして宮崎氏の名前が見られるし、ルパンのカリオストロの城やナウシカのロールを見ていると庵野氏がやはり原画マンとして名前がクレジットされてたりするから面白い。
実際、オレもアニメ業界にほんのちょっと関わったことがありますが、変人が多い業界です。
庵野氏のエピソードとして、エバがアニメになる前のある作品の総作監(総作画監督)をやったときに、プロデューサーからダメ出しされて時間もないし、納得できないしで、そばにあったロッカーに自分の頭をぶつけながら「どうしてわかってくれないの~」と泣き叫び、プロデューサーがなだめて止めるまでやめなかったそうだ。
ロッカーの扉はベコベコで庵野氏の頭は割れて血だらけだったらしい。
まあ、そんなことはどうでもいいんだけど、「海のトリトン」はそんなわけでいわく付きのアニメなのだが、作品自体はいい出来だと思う。
最終回に向けての展開は巻きが入ったのか若干性急で無理があったが、
敵のポセイドン一族の怪人達とトリトンとの対決は毎回手に汗握る見せ場だった。
その敵キャラのポセイドン一族の怪人達が一人一人キャラが立っていて面白い。
七つの海(北太平洋、南太平洋、インド洋、大西洋、地中海、北極海、南極海)それぞれを縄張りにしていて、トリトン達が謎のアトランティス大陸を探して旅している間に襲いかかってくるのだ。
このアニメの大きな特徴は、ストーリー全体を覆っている何とも言えない哀愁感だ。
これは今のアニメの演出には無い世界観だ。
トリトンの唯一の武器である「オリハルコンの剣」の存在を忘れてはいけない。
勇気と力が剣に光を与え、その光がポセイドン一族を滅亡へと導く。
ポセイドン一族って悪者だったのか?
トリトンはどんな使命と運命を持ってトリトン族の生き残りとなったのか?
多くの疑問を残しつつ、アニメは尻切れトンボ気味に終わってしまう。
納得させられる終焉を描けなかったところが、手塚先生の手を離れてしまった作品の悲しさだったのかも知れない。
ちなみにオープニングテーマ曲「GO!GO!トリトン」はオレのカラオケの十八番!
生まれて初めて買ったレコード(ドーナッツ盤)だったんだよー。
GO!GO!トリート~ン、GO!GO!トリート~ン、GO!GO!GO!GO!GO!トリート~~~ン!
オレが小5か小6の頃、リアルタイムで放送していたアニメだ。
かの巨匠「手塚治虫」の原作と言うことになっているが、同名のコミックとは設定こそ同じだがまったく別の作品。
つまり手塚先生は「原案」であって、このアニメの原作者とは言いがたい。
なんでも、手塚先生はアニメ化には反対していたそうで、なのに当時虫プロにいた西崎義展氏が無理やり無断でアニメ化してしまった。
虫プロから勝手に持ち出してしまった、というわけか。
知ってる人は知ってるでしょうが、西崎義展氏はあの「宇宙戦艦ヤマト」のプロデューサーで名を馳せた方。
薬かなんかに手を出して逮捕されて、アニメ界から追放状態になったのは記憶に新しいが、
その虫プロ~西崎氏の系図の中から、スタジオジブリの宮崎駿氏、そしてジブリからエバンゲリオンの庵野氏が出てくることになる。
ヤマトのロールを見ていると、ただの原画マンとして宮崎氏の名前が見られるし、ルパンのカリオストロの城やナウシカのロールを見ていると庵野氏がやはり原画マンとして名前がクレジットされてたりするから面白い。
実際、オレもアニメ業界にほんのちょっと関わったことがありますが、変人が多い業界です。
庵野氏のエピソードとして、エバがアニメになる前のある作品の総作監(総作画監督)をやったときに、プロデューサーからダメ出しされて時間もないし、納得できないしで、そばにあったロッカーに自分の頭をぶつけながら「どうしてわかってくれないの~」と泣き叫び、プロデューサーがなだめて止めるまでやめなかったそうだ。
ロッカーの扉はベコベコで庵野氏の頭は割れて血だらけだったらしい。
まあ、そんなことはどうでもいいんだけど、「海のトリトン」はそんなわけでいわく付きのアニメなのだが、作品自体はいい出来だと思う。
最終回に向けての展開は巻きが入ったのか若干性急で無理があったが、
敵のポセイドン一族の怪人達とトリトンとの対決は毎回手に汗握る見せ場だった。
その敵キャラのポセイドン一族の怪人達が一人一人キャラが立っていて面白い。
七つの海(北太平洋、南太平洋、インド洋、大西洋、地中海、北極海、南極海)それぞれを縄張りにしていて、トリトン達が謎のアトランティス大陸を探して旅している間に襲いかかってくるのだ。
このアニメの大きな特徴は、ストーリー全体を覆っている何とも言えない哀愁感だ。
これは今のアニメの演出には無い世界観だ。
トリトンの唯一の武器である「オリハルコンの剣」の存在を忘れてはいけない。
勇気と力が剣に光を与え、その光がポセイドン一族を滅亡へと導く。
ポセイドン一族って悪者だったのか?
トリトンはどんな使命と運命を持ってトリトン族の生き残りとなったのか?
多くの疑問を残しつつ、アニメは尻切れトンボ気味に終わってしまう。
納得させられる終焉を描けなかったところが、手塚先生の手を離れてしまった作品の悲しさだったのかも知れない。
ちなみにオープニングテーマ曲「GO!GO!トリトン」はオレのカラオケの十八番!
生まれて初めて買ったレコード(ドーナッツ盤)だったんだよー。
GO!GO!トリート~ン、GO!GO!トリート~ン、GO!GO!GO!GO!GO!トリート~~~ン!
虫プロから勝手に持ち出してしまった、というわけか。
正当な手続きでアニメ化されたものを、このような書き方をするのはいかがなものか。
手塚が何を言っても、法的には問題ないのだ。