日本、神社、天皇……そのルーツは1万年以上も古い
2018.01.04(liverty web)
《本記事のポイント》
- 日本建国史は考古学の「観測圏外」にある
- 今の日本に続く文明は1万年以上昔からあった
- 日本の中心に受け継がれてきた「太陽信仰」とは?
アメリカもイギリスもドイツも中国も、歴史の授業で、必ず建国史を習う。
「日本とは違い、当たり前の愛国教育を行っている」という見方もある。しかし逆に言えば、その建国史が、学術的に確認できるレベルの古さでしかないということでもある。
所詮、どの国も10世紀以降にできたものなのだ。
一方、日本という国の「出発点」は、紀元0年を軽々と通り越し、考古学で研究できる「観測圏」の、はるか向こう側にある。
「学術的に実在する可能性が高い」とされる天皇の名前は、最も古いものでも第10代の崇神天皇だ。初代の神武天皇も、その先祖とされる天照大神も、さらにその前に存在すると語り継がれてきた先祖たちの姿も、学術的には完全に「霧の向こう」なのだ。
ギリシャ神話に出てくるゼウスの子孫が生きており、その系統を正式に引く国家が現存すれば、恐るべきことだろう。しかし、この日本、そしてその王朝である皇室は、まさにその「恐るべきもの」に当たるのだ。
神代文字に海底遺跡……超古代日本の痕跡
実際、考古学で認識できるより昔の日本には、教科書で習う「農耕と狩猟しかしない文明」とは違う"何か"が存在していた可能性が、しばしば指摘されてきた。
漢字が伝来する以前に使われていた「神代文字」の存在、全国各地で発見されている巨石の構造物。与那国島付近の海底にいたっては、まるで都市のような海底遺跡が見つかっている。もしこれが人工物なら、1万年以上前の日本周辺に、高度な文明が存在していた痕跡となる。
いったい、この国の歴史の「出発点」には、どのような風景が広がっていたのだろうか。
エジプト最盛期と同時期に生まれた「オオヒルメノムチ」
大川隆法・幸福の科学総裁は2日、そのルーツを探るべく「オオヒルメノムチ」という神の霊言を行った。
一般的に、オオヒルメノムチとは、神道の主宰神・天照大神の異称とされる。
天照大神は、学術的には実在した人物かどうか評価は分かれる。しかし、大川隆法・幸福の科学総裁の霊査により、3000年近い昔の日本に九州地方に生まれた統治者だったことが分かっている(関連記事参照)。
オオヒルメノムチは、天照大神と同一の存在なのか。それとも、日本の歴史のさらなる秘密を明かすものなのか――。
オオヒルメノムチはまず、かつて日本に生まれたことのある存在だと明かした。その上で、生まれた年代について、驚くべき事実を語った。
「私の古さは、おそらくエジプト文明あたりの最盛期ぐらいと、同じぐらい古いのではないか」
エジプト文明といえば、少なくとも5000年以上前から栄えたと言われている。その時期に日本が存在したとすれば、2600年以上昔の神武天皇即位よりも、はるかに古いことになる。
そんな日本文明のルーツについて、オオヒルメノムチはこう語った。
「日本文明は、中国や韓国あたりの者がつくったものではありません。(中略)南方から来たムー(*1)の子孫が、文明を持ちきたらしたものがその始まり。(中略)おそらく、少なくとも今の文明に続くもとのものは、一万数千年ぐらい前まで(には存在していた)」
なんと、日本には、少なくとも1万年以上の歴史があるというのだ。
(*1)1万年以上昔、太平洋にあったとされる大陸とその文明の名前
オオヒルメノムチは「最高の巫女」だった
そうした超古代の日本で生まれ、現在まで名前が伝わるオオヒルメノムチとは、どのような人物だったのか。
「職業的には、今で言うと最高の巫女ではありましょうね。霊天上界との交信をするというのが、職業的に最も尊い仕事で、これができる人は地上に降りた神の化身ということであるし、ご託宣によって、政(まつりごと)もやっていた」
そう聞くと、「原始時代のシャーマニズム」を思い浮かべる人も多いかもしれない。
しかし、オオヒルメノムチの語る当時の日本には、原始時代とはかけ離れた、高度な文明があったようだ。霊言では、驚くべき産業・技術の様子が、こと細かに語られた。
では、このオオヒルメノムチと、天照大神との関係は、どのようなものなのか。
オオヒルメノムチが語るには、その魂は、後に何度も日本に生まれたという。その中でも、3000年前ほどに日本に降りたのが、天照大神だったという。
天照大神は、同じく最高位の巫女であり、"信仰の形態"も同じだった。そうしたことから、後世、オオヒルメノムチと同じ存在として認識されるようになったというのだ。
生命の源である「太陽」への信仰
では、その"信仰の形態"とはどのようなものか。
オオヒルメノムチというのは、「大いなる太陽を信仰する者の、中心的な巫女」という意味の言葉で、本来は固有名詞ではないという。つまり、オオヒルメノムチも、後世に生まれた天照大神も、「太陽信仰」を司る存在だったのだ。
なお、その「太陽信仰」の中心として、特に天照大神の名前が後世に残った背景についても、大川総裁による他の霊言において、明かされている。それについても、関連記事を参照されたい。
「太陽信仰」の考え方は、エジプト、南米、ヨーロッパを始め、世界中に点在する。そして、日本人の前身とされるムー文明における信仰でもあった。
その信仰の内容について、オオヒルメノムチはこう語る。
「神を語るには、見えない者にとっては(神を)理解することは非常に難しゅうございますので、やはり、例えとしては、太陽の存在というのがいちばん分かりやすい」
太陽は、地上における全ての生命や、その営みの根源になるものだ。それと同時に、身体に宿る魂も、太陽エネルギーが変換されたものによって成り立っているという。
つまり「太陽信仰」とは、「生命の源に対する、尊崇の念を持つべきだという考え」なのだという。
1万年以上受け継がれる「太陽信仰」
この国では、こうした「太陽信仰」が、1万年以上の時を越えて、連綿と受け継がれてきたということだ。
実際に、神道の中心地であり、太陽神と同等の存在として天照大神を祀る伊勢神宮において、参拝者は「個人的なお願い事」はしてはいけないという(願い事は、外宮・内宮共に、「別宮」と言われる他の神様を祀る場所ですることとされている)。
その代わりに、日頃の恵みに対する感謝を伝えるのが、正しい参拝と言われている。
これも、現世利益が中心にある宗教とは異なる、「太陽信仰」の表れと言える。
また、国号である「日本」も、国旗である「日の丸」も、「お天道様が見ている」という考え方も、やはりこの「太陽信仰」が、中心に流れる国であることを示唆している。
オオヒルメノムチは、この「太陽があまねく照らす世界」という世界観が、個人の信仰にとどまらないものであることを語る。「国内の争いごとを融和させる」原理、さらには「日本以外の国々をも同胞とみなし、その平和や繁栄に責任を持つ」という精神にもつながっているというのだ。
これが、この国が1万年以上、連綿と続いてきた大きな理由なのかもしれない。
こした長い歴史と、高い精神性に対して、日本人は改めて自信を持ち、そして、失わないようにする必要がある。
霊言では他にも、次のようなポイントについて語られた。
- 日本列島が大陸から切り離された時期
- 日本の「大和言葉」の源流はどこか
- オオヒルメノムチの時代の稲作、機械、物流
- 現代人にとって未知の金属が存在した!?
- 神道における「合掌・拍手」の由来
- 巫女集団の戦いはまるで「フォース」の世界!?
- 現代日本に対する一喝
詳しくは⇒⇒⇒
大川隆法のスーパー霊能力 「霊言」とは何か
ここに紹介したのは霊言のごく一部です。詳しくは幸福の科学の施設で、ぜひご覧ください(下記参照)。
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