2013年12月号記事(Liverty Web)
「税と社会保障の一体改革」という幻想 (Webバージョン)
(2013年11月6日 Webバージョンにて再投稿)
「社会保障にしか使いません」
安倍晋三首相は10月、消費税増税を正式に発表した記者会見で、増税による税収の使い道についてこう述べた。今の自民党政権もその前の民主党政権も、この「税と社会保障の一体改革」をうたっており、増税分は年金や医療、介護に使うことになる。
しかし、社会保障のコストは毎年1兆円から2兆円ずつ増えている。「一体化」していいのだろうか。
消費税は70%へ
財務省が数多くの出向者を送り込む国際通貨基金(IMF)は今年8月に出したレポートで、「日本の消費税は15%に引き上げるべきだ」と主張した。現時点の社会保障にからむ赤字と、これから10年間の社会保障の負担増をまかなうには、ちょうど消費税15%が必要という理屈だ(注1)。日本はアメリカに次いで二番目のIMF出資国であり、財務省から出向者が数多くいるため、財務省の考えを代弁している。
ただ、数十年先を考えれば、それでは済まない。原田泰・早大経済学部教授の試算では、2060年の時点で消費税は68・5%になるという。高齢者1人当たりの社会保障給付費(65歳以上1人当たり281万円)が変わらず、保険料や消費税以外の税の引き上げをしない場合、人口予測に基づいて消費税がどこまで上がるかを試算したものだ。少子高齢化の中、高齢者が増え、現役世代は減る。社会保障を成り立たせるために、保険料を上げたり、所得税や相続税を上げたりする選択もあるが、消費税に限って上げていくとすれば約70%になるという計算だ。
国民の負担が所得の7割を占める福祉大国スウェーデンと同じレベルに到達する。
なぜこんな重税になるかというと、年金も医療も介護も、現役世代から集めたお金を高齢者に“横流し"する「賦課方式」を採っているため。民間の保険のように個人の口座が独立して、そこに積み立てられているわけではないので、実質的に単なる税金のバラマキだ。
(注1)今の時点で社会保障にからむ赤字は年間12兆~14兆円で、消費税に換算すると5~6%分になる。加えて、社会保障の負担が毎年1・3兆円ずつ増えるので10年間で13兆円になる。合わせて10~11%の消費税増税が必要になる。よって消費税15%となる。
公的年金は「国営ネズミ講」
政府は「払った金額の何倍もの年金を全員がもらえる」と宣伝し、1970年代から大胆なバラマキを始めた。その結果、鈴木亘・学習院大教授の試算では、70代の人は一生を通じて平均で、払った分より約3000万円多くもらい、今生まれたばかりの子供は逆に3000万円近くの損になる(注2)。
「宣伝」通りにいかないのは、現役世代の人口が増え続けるのを前提とした仕組みだからだ。実際には少子高齢化で現役世代は減り続けるので、高齢者に“横流し"するお金が途切れてしまい、制度自体が成り立たなくなる。公的年金の構造は、必ず先の加入者が得をする一方で後の加入者が損をし、最後は破綻する「ネズミ講」とまったく変わらない。
ただ、公的年金がそう簡単に破綻しないのは、ネズミ講組織と違って、政府に「徴税権力」があるからだ。今のところ現役世代がより多くの保険料を払って損をすることで、何とか成り立っている。「積立方式」だと偽ってお金を集めていた積立金を取り崩すことも、制度延命の方法だ。そして何よりも、今回の消費税増税のように税金を引き上げ、社会保障に投入すれば、相当の年数、生き延びさせることができる。
政府が40年以上にわたってばらまいたお金は800兆円にのぼるという。公的年金として国民に支払いを約束している金額からすれば、950兆円の積立金がなければならないが、2009年時点で残っているのはたった150兆円で、不足が800兆円にのぼる。これに医療、介護でばらまいた金額も加えると、1400兆円規模になるという(注3)。
この穴を埋めるために政府は消費税を増税し、政府による詐欺組織「国営ネズミ講」を無理やり存続させようとしているのだ。
(注2)鈴木教授の試算によると、1940年生まれの世代は平均で、差し引き3090万円も多い。一方、1965年以降に生まれた人たちは差し引きでマイナスになって、2010年生まれの幼児は2839万円の損になる。
(注3)鈴木亘・学習院大教授らの試算。
AIJ年金詐欺事件と公的年金は変わらない
年金をめぐる詐欺ということでは、2012年2月に発覚したAIJ投資顧問による年金資産消失事件が話題となった。中小企業の年金基金から2000億円余りの資金を集め、その9割を消失させた事件だ。
「虚偽の法外な運用利回りをうたっていた」として詐欺罪などに問われたのだが、「法外」と言う利回りは06年以降で5~9%。それを賄うため、新規顧客から手に入れた資金を右から左に流用する自転車操業を繰り返していた。
ただ、現在、公的年金が約束している運用利回りは4・1%。5%よりはさすがに少ないが、「高利回りをうたって資金を集め、右から左に渡す自転車操業」という点では、AIJ事件も今の公的年金もまったく同じだ。
AIJ投資顧問は資金繰りが行き詰まって、無理な経営実態が表沙汰になり、社長らが詐欺容疑で立件された。公的年金の場合、税金を引き上げて穴埋めし続ければ、「無理な経営実態」を誤魔化すことができる。
「消費税率70%」に向かう税と社会保障の一体改革は、国家的「詐欺事件」を隠蔽するための新たな「犯罪」と言っていい。国民は二重に騙された被害者だ。
消費税増税を決めた自民党、公明党、民主党などの政治家、その振り付けをした厚生労働省、財務省の歴代幹部たちはいずれ、1000兆円規模で国民の老後の備えを食いつぶした罪を償わなければならない。国民の怒りは、必ず爆発することだろう。
イギリス病にかかる日本
このままでは日本は、大変な「重税国家」になってしまう。
大川隆法・幸福の科学総裁は10月に説いた法話「未来創造学入門」で、税と社会保障の一体改革について、「イギリス病のようなものにかかることを意味している」と指摘した。
イギリスは1970年代に、所得税の最高税率が83%、株や相続など不労所得の最高税率が98%に達した。貴族階級など大資産家は節税を徹底したが、優秀な学者や技術者などの中流階級はアメリカなど海外へ逃げ出した。
今ならフランスから富裕層が逃げ出している。オランド政権が2014年から所得1億円以上の人への所得税を41%から75%に引き上げる。ルイ・ヴィトンのCEOらがベルギー国籍を取得申請し、話題となった。
日本もかつてのイギリス、今のフランスの後を追っている。安倍政権は2015年1月から、所得税の最高税率を40%から45%に引き上げる。住民税を合わせると55%で「五公五民」を超える。日本の高所得者は、社会保険料も合わせれば所得の7割を取られている。スイスの11・5%、ロシアの13パーセント、香港の15%など各国が引き下げ競争を展開する中、日本はなぜか逆を向いている。
同時に相続税も最高税率を50%から55%に引き上げられる。これもスイスやオーストラリア、ニュージーランドなど多くの国が相続税をゼロ%とする中、突出した高さだ。財務省は、家計の金融資産1500兆円の6割を持つ60歳以上に狙いを定めている。
マルクス、エンゲルスの「共産党宣言」は強度の累進課税や相続権の廃止をうたい、資産家を敵視したが、それが緩やかに日本で実行されようとしているということだろう。
富裕層を追い詰める仕掛けは、今後いくつも用意されている。
マイナンバー制(共通番号制)が2016年から導入される。納税実績や社会保障給付などを一つの番号で管理し、国民の所得を正確につかむのだという。
加えて2013年12月から、海外に5000万円以上の資産がある人は、その内容を国税庁に提出することを義務付けられる。株式、預金、保険、不動産などすべての国外財産について報告しなければならない。
これだけ個人資産が丸裸にされると、スウェーデンの徴税の仕組みに極めて近くなる。スウェーデンでは、個人の所得に関する情報を一般にも公開しており、国税庁に電話すれば誰でも、赤の他人の所得額を教えてもらえる。その目的は、「分不相応に外から見える派手な暮らしをしている人がいたら、密告させる」ことにある。国民同士で見張らせる「監視社会」ができ、富める者からどんどん税金をむしり取っていこうとしている。
日本もこれに近づいており、それに対し逃げ場を求め、相続や贈与にあたって子供や孫に日本国籍を捨てさせるケースまで出てきている。日本はすでにイギリス病にかかっているかもしれない。
ソ連は国家規模の「姥捨て山」だった
イギリスは戦後、「ゆりかごから墓場まで」のスローガンの下、「どんな仕事や生活をしていようが、政府がすべて面倒を見る社会」を実現しようとした。それを後にひっくり返したサッチャー首相は当時を回顧し、「労働と自助努力を尊ぶ気持ちに代わり、怠惰とごまかしを奨励するねじ曲がった風潮をもたらした」と述べている。つまり、「怠け者」を大量に生んだのだ。
単なる怠け者ならばいいが、国民が物乞いのような発想になれば、ペットのように政府に飼いならされるだけの存在になってしまう。そこまでいけば、政府に依存しなければ生きていけなくなる。それが世界で初めての社会主義国・ソ連で起こったことだ。
1922年に成立したソ連は、「ゆりかごから墓場まで」をイギリスに先駆けて実現した。憲法には「国民が健康になる権利」がうたわれたが、国営や公営だけの「独占」状態では、医師に賄賂を渡さなければ命も危ないほど医療の質が低下した。
米ミーゼス研究所のユーリー・マリツェフ氏は昨年7月のレポート「ソ連の医療は何を教えるか」で、年齢差別が今でもあり、「ロシアでは60歳以上の患者は価値がないと見なされ、70歳以上の患者は初期治療も拒否されてしまう」と書いた。ソ連時代はもっとひどく、「高齢の患者は死んでくれ」という国家規模の「姥捨て山」だった可能性が高い。
実はアメリカはこの「高齢者差別」を導入しようとしている。オバマ大統領が肝入りで始める準国民皆保険「オバマケア」の設計者であるエゼキエル・エマニュエル氏(アメリカ国立衛生研究所の臨床生命倫理部門ディレクター)は医学専門誌でその考えを発表している。「65歳の人よりも25歳の人(への医療)が優先されたとしても、今65歳の人はかつては25歳だった」ので、高齢者を差別しても構わないと言うのだ。
ソ連での社会主義の実験はその理想とは裏腹に、「お年寄りが大切にされない社会」に帰結し、「地獄への道は、善意で舗装されている」を地で行くものとなった。それがロシアで尾を引き、自由の大国アメリカを浸食し、日本も同じ道をたどっている。
自由主義の経済学や政治哲学を打ち立てた経済学者ハイエクは、著書『自由の条件』でこう述べている。
「今世紀末に引退する人の大半は、若い世代の慈善を頼りにすることが確実になるであろう。そして、究極的には、道徳でなく、青年が警察と軍隊をもって答えるという事実が、問題を解決するであろう。自分自身を養えない老人の強制収容所が、青年を強制するしか所得を当てにすることのできない老人世代の運命となるであろう」
「福祉国家は持続不可能」
大川総裁は、近著『吉田松陰は安倍政権をどう見ているか』のまえがきで、こう指摘した。
「『税と社会保障の一体改革』は、共産主義的ユートピアの幻想である。早くポピュリズムのワナから抜け出して、自助努力からの発展繁栄こそ、真の資本主義的ユートピア社会であることに気づかれよ」
共産主義が登場するまでは、どの国でも当たり前に子供の誰かが親の面倒を見ていた。もちろん家庭の中での女性の負荷が大きいという問題はあるが、金銭的には、両親に食事と寝る場所を提供し、100万円ぐらいから多くても年間200万円ぐらいの負担だろう。それ以上を出せる家庭はかなり裕福な家庭に限られる。それを政府が面倒を見る場合、日本であっても、65歳以上の高齢者の1人当たりの福祉支出は年間281万円になる。夫婦2人分なら562万円。赤の他人に両親を任せることで、明らかに2倍以上のお金がかかるようになっている。この計算だけでも、社会保障のために税金を引き上げていく「税と社会保障の一体改革」は成り立たないことは明らかだ。
単に金額の問題だけではない。20世紀を代表するアメリカの経済学者ミルトン・フリードマンは著書『選択の自由』で現代の社会保障制度について以下のように述べている。
「社会保障制度は強制的であり、非人格的である」
「子供が両親を助けるのは義務からではなくて、愛情からだ。ところがいまや若い世代は、強制と恐れのために誰か他人の両親を扶養するため、献金をさせられているわけだ」
「今日の強制による所得の移転は、家族の絆を弱めてきた」
家族の絆が弱まり、その結果、政府の負担が大きくなっている。
オランダのアレクサンダー国王は2013年9月、次の年の政府予算提出にあたって議会で演説し、「20世紀後半の福祉国家は持続不可能となっている」と述べた。国王の演説はルッテ現政権による施政方針演説にあたり、オランダ政府の方針だ。
国王は演説でこうも語った。「古典的な福祉国家はゆっくりと、しかし確実に『参加社会』へと変化している。可能な人は自分や周りの人々の生活の責任を負うことが求められている」。参加社会については、「市民が自分で自分の面倒を見て、退職者の福祉といった社会問題に対する解決策をつくり出す社会」と説明した。
「福祉国家が持続不可能」なのはオランダだけではない。財政赤字に苦しむ日本も、アメリカも、他の先進国も、みな同じだ。
資本主義的ユートピアを目指せ
サッチャー首相が力説したように、「働かざる者、食うべからず」という人生の基本に立ち返るしかない。政府が貧しい人にどれだけ金銭を与えても、貧困から抜け出せるわけではない。サッチャー氏は「その人が自分でできること、また自力でやるべきことを、その人に代わってやってあげても、恒久的な助けにはならない」と語っていた。必要なのは、自己責任の考え方や勤勉の精神だ。
日本のいびつな社会保障をつくり上げた政治家、官僚はいずれ責任を取らされ、年金・医療・介護の公的制度は、解体されるか民営化される。
国民としては自衛に入るしかない。若い世代は人生設計を立て、勤勉に働き、財産をつくる。あるいは、子育てに励んで、将来面倒を見てくれる孝行な子供をつくるのも一つの道だ。高齢の方や老後が近い方は、可能なら今からでも奮起して、安心できるところまで稼ぐ手立てを考えるべきだろう。
もちろん、経済的に失敗してしまった人、家族の助けが得られない人、どうしても働けない人を救うセーフティー・ネットを用意するのは政治の仕事になる。「飢えず、凍えず、雨露がかからない生活、病気の際に痛みを取り除く医療」は誰にも不可欠だ。
「社会保障と税の一体改革」は成り立たず、まったくの幻想だ。自己責任と勤勉の精神を復活させ、「資本主義的ユートピア」を目指す中にこそ、日本もアメリカもその他の先進国も、新たな「姥捨て山地獄」を阻止することができる。
(綾織次郎