京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

南禅寺界隈②

2020年07月09日 08時48分00秒 | 日記
 南禅寺参道の西側エリアには南禅寺別荘群と言われる多くの別荘が立ち並んでいます。







その第一号が明治の元勲山縣有朋の無鄰菴です。それまでに山縣は二件の別荘を構えています。

第一無鄰菴は、山縣の故郷の長州(山口県)に構えましたが現存していません。

第二無鄰菴は、京都木屋町二条下ルに構えています。今は"がんこ"さんがこの地で営業されています。
入口前には"第二無鄰菴"の石碑があります。

近くには薩摩出身の伊集院兼常の"廣誠院"があり、ふたりは庭園、建築において"良きライバル関係"でした。

上知令された南禅寺周辺は疏水の水を使って水車を動かし、その動力を使用した一大工業地帯になる予定でしたが、琵琶湖疏水の設計変更(水力発電)により東山の景観を保護する別荘地へと設計変更されました。



別荘を誘致するのに京都府は当時の大物政治家山縣有朋に土地の購入を働きかけ第三無鄰菴が実現することになります。

山縣購入の宣伝効果は大きく、財閥はじめ、多くの政商が購入し今日の南禅寺別荘群を形成しました。

時代と共に所有者が代わっている所が多いですが、ほぼ同じ規模で維持されているのは凄い事だと思います。

山縣が第三無鄰菴(現在の無鄰菴)を造ると、ライバルの伊集院兼常も"對龍山荘"を造ります。
南禅寺の山号が瑞龍山"で、その向かえにある事から名付けられました。
呉服商の市田氏らの所有を経て今は家具や雑貨店をチェーン展開されている"ニトリ"さんが所有されています。
庭園の維持管理は植彌加藤造園さんがされていて、對龍山荘では加藤武史さんが専属庭師として活躍されています。いつもレベルの高い維持がなされています。





"哲学の道"に沿うように南から北へ流れる疏水分線です。
京都の地形は北が高く、南が低くなっています。南区にある東寺の五重塔は高さが約55mあり、北区紫野付近とほぼ同じ高さです。
疏水分線は蹴上からの高低差を利用し、南から北へと流れています。

"哲学の道"に敷かれている敷石は、かって市内を走っていた市電に使われていた敷石を再利用したものです。

また、疏水沿いの桜は画家橋本関雪夫妻が植樹したもので"関雪桜"と呼ばれています。(ほとんどが二代目になっています。)



大きな屋根の建物は光雲寺です。
徳川二代将軍秀忠の正室東福門院和子が寄進したもので屋根を支える組物も素晴らしい造形美です。
今は南禅寺の専門道場になっていて2〜3年に1度程度公開されます。



場所はインクラインに戻ります。
琵琶湖疏水の出口の蹴上船溜から下方の南禅寺船溜までのインクラインを復活させる計画もありましたが費用の面で断念されました。





春には菖蒲が咲き、人の多い南禅寺周辺では"隠れたスポット"なのかも知れません。



正面は京都市立岡崎動物園、右に見えるのは琵琶湖疏水記念館で疏水の歴史的資料や周辺のジオラマもあり疏水の勉強には欠かせない施設です。
京都市上下水道局が運営されていて、無料で見学できます。










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