重山文庫を後に"薩長と維新三傑の史跡を巡ります。
禁門の変の敗戦で朝敵となった長州藩は、幕府による第一次長州征伐で恭順の意思を貫きます。
一方の薩摩藩も8月18日の政変以来、藩が主張する幕政改革の展望を見出せないまま次第に幕府強硬論に傾いて行きます。
薩摩藩を代表しる西郷隆盛も第一次長州征伐の際に幕府方の勝海舟と会談し、今は薩長でいがみ合っている状況では無いと強く論されています。
薩摩藩家老の小松帯刀により薩摩藩の名義貸しにより長州藩への武器購入が実現します。
薩長融和の実現に大きく貢献した出来事でした。
この地を薩長同盟締結の地と突き詰めたのは郷土史家の原田良子氏が京都行政文書を調べられ、ここ御花畑(近衛家別邸)の場所や規模などを発見され特定されました。
中村武生先生により石碑、説明板が設置されています。
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