今日は、岩手・宮城・福島の被災地議員とお会いする機会
があり、震災後6ヶ月間の実体験を伺うことができました。
中でも仙台市議のメンバーが語った内容には胸に迫るもの
がありました。震災の前日、実のお母さんが亡くなり、彼は
近しい人たちと葬儀の打ち合わせをしていたそうです。
その直後、あの大震災が発災し、あたかも怪物に家をつか
まれて揺さぶられている様な状態となってしまったのです。
お母さんの葬儀など到底できる状況ではなくなりました。
彼はその後、避難所への誘導や市民の安否確認に駆けず
り回り、昼も夜もない救援活動に没頭して行きます。
電気も水も食料も通信も途絶え、いつ救援が来るのかすら
全くわからない中、絶望感と戦いながら、彼は必死に市民
の元へ駆けつけ、励ましを送り続けました。
3・11から半年が経っても、とうとうお母さんの葬儀はできず
じまいとなってしまいましたが、現在彼の自宅には毎日の様
にお母さんの供養にと、たくさんの弔問者が訪れるそうです。
彼は報告の結びに、「大衆の中に生まれ、大衆と共に戦い、
大衆の中に死んで行く」と言う、自らに課した議員としての
精神を必ず果たして行きたいと強く語っていました。
私も、彼と同じ思いで活動して行こうとの誓いも新たに家路
に着きました。合言葉は、「負げでたまっか!」です。
あぶかわひろしは今日も行く
あぶかわ浩(虻川浩)・小平市議会議員のホームページ
ワカモノのミカタ