ハプスブル家の栄華を現在につたえる世界遺産
シェーンブルン宮殿
女帝マリア・テレジア、マリー・アントワネットもここに住んだという
壁は金を塗ろうとしたところ、マリア・テレジアが財政の状況を考慮し、
黄金に近い黄色にした、これをテレジア・イエローといい、
この色の建物をあちこちでたくさん見かけました。
こんなエピソードも聞きました。
マリー・アントワネットがここに滞在している時、
6歳の神童モーツァルトが招待され訪れ、
この時宮殿内で転んだモーツァルトをマリー・アントワネットが助け起こしたところ、
モーツァルトが「僕と結婚して」とプロポーズした、
という伝説があるらしく、宮殿内の絵にモーツアルトが描かれていました。
2階部分を除いた居室が賃貸住宅となっており、公務員に貸し出されているそうな
ちなみに家賃はというと・・・2LDKで100m²、家賃は日本円で4万7千円
シェーンブルン宮殿
女帝マリア・テレジア、マリー・アントワネットもここに住んだという
壁は金を塗ろうとしたところ、マリア・テレジアが財政の状況を考慮し、
黄金に近い黄色にした、これをテレジア・イエローといい、
この色の建物をあちこちでたくさん見かけました。
こんなエピソードも聞きました。
マリー・アントワネットがここに滞在している時、
6歳の神童モーツァルトが招待され訪れ、
この時宮殿内で転んだモーツァルトをマリー・アントワネットが助け起こしたところ、
モーツァルトが「僕と結婚して」とプロポーズした、
という伝説があるらしく、宮殿内の絵にモーツアルトが描かれていました。
2階部分を除いた居室が賃貸住宅となっており、公務員に貸し出されているそうな
ちなみに家賃はというと・・・2LDKで100m²、家賃は日本円で4万7千円
ベルヴェデーレ宮殿はオスマン軍が攻め込んだ時、
総司令官だったたった一人の英雄のための
夏の宮殿として建てられたそうです。
庭園からはウィーンの街並みが見下ろせ、遠くにはウィーンの森も見えます。
そのように傾斜をつけて作らた宮殿です。
総司令官だったたった一人の英雄のための
夏の宮殿として建てられたそうです。
庭園からはウィーンの街並みが見下ろせ、遠くにはウィーンの森も見えます。
そのように傾斜をつけて作らた宮殿です。
そのあとウィーン市内をそぞろ歩き
歩行者天国となった街の中は人でいっぱい!!
モーツアルトが「フィガロの結婚」を作曲したころ住んでいた家で
フィガロハウスと呼ばれているそうです。
歩行者天国となった街の中は人でいっぱい!!
モーツアルトが「フィガロの結婚」を作曲したころ住んでいた家で
フィガロハウスと呼ばれているそうです。
バスはヒマワリや麦・ジャガイモ・トウモロコシ畑の続く
のどかな田園地帯を走り・・・ハンガリーへ
眠っていても添乗員さんが”皆さん国境超えますよ”
と起こしてくれます。
ハンガリーの通貨はユーロでなくて、フォリントです。
ユーロの使えない小さなお店で買い物をするためには両替が必要です。
面白いのでちょこっとだけ両替してみました。
のどかな田園地帯を走り・・・ハンガリーへ
眠っていても添乗員さんが”皆さん国境超えますよ”
と起こしてくれます。
ハンガリーの通貨はユーロでなくて、フォリントです。
ユーロの使えない小さなお店で買い物をするためには両替が必要です。
面白いのでちょこっとだけ両替してみました。
さぁ~いよいよハンガリーです。
ハンガリーの首都ブタペスト到着です。
楽しい夕食を終えて、ドナウ川クルーズへ
ライトアップ前と後のブタにそびえる王宮とくさり橋
ドナウ川を挟んで、一時は中欧最大の都市として栄えたブタ地区と
商業中心のペスト地区に分かれています。
そのブタ地区とペスト地区を初めて結んだのが、このくさり橋
ハンガリーの首都ブタペスト到着です。
楽しい夕食を終えて、ドナウ川クルーズへ
ライトアップ前と後のブタにそびえる王宮とくさり橋
ドナウ川を挟んで、一時は中欧最大の都市として栄えたブタ地区と
商業中心のペスト地区に分かれています。
そのブタ地区とペスト地区を初めて結んだのが、このくさり橋
涼しい風に吹かれながら、船の上でもワインを飲み、美しい景色に感動
しばしの優雅なクルーズでした。
しばしの優雅なクルーズでした。
この日の食事
明日は船から見上げた王宮やゲッレールトの丘の観光です。