最近忙しくて
曜日や日にちの感覚も薄れていました。
歳のせいもあり!なんですけどね。
初めてかれこれ3年目になる 薩摩狂句
(鹿児島の方言を使った、川柳みたいなもの)
句誌の方では、最近は殆ど賞を貰えません。
もっとも郷土の先輩方が大勢おられるので、
若輩者の私が賞をもらう確率は少ない事に・・・
なんて言うのは“逃げ”ですね。
毎月送られてくる句誌の入選句を詠んでは
あぁ~こんな句が作りたい!!と
自分の発想のなさを嘆いている私
雅号は茶畑(ちゃばたけ)
前置きが長きなってしまいましたね。
で、
そうなんです。
その月末ということを忘れて、覗いた「にがごい掲示板」
(”にがごい”鹿児島弁でゴーヤのこと
私の所属するさつま狂句の会の名前です。)
いきなり飛び込んできた
見覚えのあるこの画像
私じゃん
と言うことで、5月は貰っちゃいました
↓は黒柱先生の選評です。
曜日や日にちの感覚も薄れていました。
歳のせいもあり!なんですけどね。
初めてかれこれ3年目になる 薩摩狂句
(鹿児島の方言を使った、川柳みたいなもの)
句誌の方では、最近は殆ど賞を貰えません。
もっとも郷土の先輩方が大勢おられるので、
若輩者の私が賞をもらう確率は少ない事に・・・
なんて言うのは“逃げ”ですね。
毎月送られてくる句誌の入選句を詠んでは
あぁ~こんな句が作りたい!!と
自分の発想のなさを嘆いている私
雅号は茶畑(ちゃばたけ)
前置きが長きなってしまいましたね。
で、
そうなんです。
その月末ということを忘れて、覗いた「にがごい掲示板」
(”にがごい”鹿児島弁でゴーヤのこと
私の所属するさつま狂句の会の名前です。)
いきなり飛び込んできた
見覚えのあるこの画像
私じゃん
と言うことで、5月は貰っちゃいました
↓は黒柱先生の選評です。
(課題吟の部)
(天)松(まっ)の枝(え)で ドレミシファソち 花が咲(せ)っ
茶畑(5月15日投稿分)(松の枝)
(寸評)
非の打ち所のない今月の天です。素晴らしい!の一語に尽きます。
何と言っても、その着想の素晴らしさ、意外性に心を奪われました。
まさか松の枝を五線譜に、
ろうそくのような花を音符に見立てる着想があろうとは、
まさに虚を衝かれた思いでした。
この着想を得た段階で、この作品は九分九厘、
秀句として出来上がったと言っても良いでしょう。
それにしても、どうして「ドレミファソラ」ではなく
「ドレミシファソ」なのでしょう?
花も右肩上がりになっているわけではありませんし、
単に順番に並べただけでは、あまり面白みがないのは確かです。
「ドレミシファソ」に作者の何らかの意図が
含まれているのではないかと思いました。
これは私の勝手な、根拠のない想像ですが、
これは童謡や演歌などではなく
、どうやらクラシック音楽の一部ではないか?
そこで、全くのクラシック音痴の私は、
ちょっくら「カンニング」をしました。
その結果、ショスタコーヴィチ?
いやいや、「生兵法は大怪我の元」。このあたりで、退散しましょう。
先月も書きましたように、狂句の良し悪しは
「九分どおり発想(着想)で決まる」と言われるとおりです。
この作品もまさにそのことを実証していると思います。
(天)松(まっ)の枝(え)で ドレミシファソち 花が咲(せ)っ
茶畑(5月15日投稿分)(松の枝)
(寸評)
非の打ち所のない今月の天です。素晴らしい!の一語に尽きます。
何と言っても、その着想の素晴らしさ、意外性に心を奪われました。
まさか松の枝を五線譜に、
ろうそくのような花を音符に見立てる着想があろうとは、
まさに虚を衝かれた思いでした。
この着想を得た段階で、この作品は九分九厘、
秀句として出来上がったと言っても良いでしょう。
それにしても、どうして「ドレミファソラ」ではなく
「ドレミシファソ」なのでしょう?
花も右肩上がりになっているわけではありませんし、
単に順番に並べただけでは、あまり面白みがないのは確かです。
「ドレミシファソ」に作者の何らかの意図が
含まれているのではないかと思いました。
これは私の勝手な、根拠のない想像ですが、
これは童謡や演歌などではなく
、どうやらクラシック音楽の一部ではないか?
そこで、全くのクラシック音痴の私は、
ちょっくら「カンニング」をしました。
その結果、ショスタコーヴィチ?
いやいや、「生兵法は大怪我の元」。このあたりで、退散しましょう。
先月も書きましたように、狂句の良し悪しは
「九分どおり発想(着想)で決まる」と言われるとおりです。
この作品もまさにそのことを実証していると思います。
黒柱先生
嬉しいおことばありがとうございます。
これからの励みになります。
忙しくて気持にゆとりのなかったこの頃
嬉しい知らせで心も気持もほころんでいます。
嬉しいおことばありがとうございます。
これからの励みになります。
忙しくて気持にゆとりのなかったこの頃
嬉しい知らせで心も気持もほころんでいます。