なだいなだ著 筑摩書房 P104
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「森鴎外はそんなに偉い人だったか」
この間のことだ。ある人に「森鴎外と同じ
ようにあなたも医者と文学者と、二足のわら
じをはいこられましたね」と話しかけられた。(中略)
「軍医総監になった人ですから、その方面で
も偉い方だったのでしょう」(中略)
「かれは日露戦争のとき、陸軍の軍医の最高
の責任者の一人でした。当時陸軍には脚気と
いう病気が蔓延していました。脚気なんてご
存知ないでしょうね。今では脚気はビタミン
B1の不足で起きることが分かっています。
当時でも、陸軍が兵隊に食べさせている白米
食に原因があると考える人は、数多くいました。
海軍の軍医だった木兼寛は遠洋航海で脚気
による死亡者が多発したことを契機に食事を
パン食など洋風なものに切り替え、脚気死亡
をゼロにしていました」
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▼鴎外は東大の病理学教授が唱えた、脚気は
脚気菌によって起こるという説をかたくなに
信じて何万人もの命を落とさせた。当時は白
米が腹いっぱい食べられるというのが軍隊の
最大の魅力だったのでしょう。海軍のいう麦
を混ぜたらという提案を最後まで突っぱねた
のが、森鴎外たちでした。偉い人が言ったこ
とはめったな事には後へ引っ込められない。
エリート意識が高くて誤りを生涯認めようと
はしなかった。そういえば放大の教授が鴎外
には2つの過ちをした。といっていました。
1つは脚気、2つ目はドイツ語の誤訳で防御
は最大の攻撃なりが正しいのに、誤って攻撃は
最大の防御なりと訳してしまった。2点とも
取り返しのつかないことをしてしまった。日本の
歴史は変わっていたかもしれない。