たわごと~産業カウンセラーとして~

資格取得後もまだまだ研鑽の日々です。勉強会で感じたことを中心に、日々思う事や季節のことレシピまで自分を表現する日記です。

「夜と霧」フランクル

2012-08-31 22:05:12 | 本の力
数年前のあるセミナーでこの本を知り、読もうと思ったまま忘れていたのですが、「100分de名著」で採り上げられていて、あ~そうだった、読んでいなかったと思いだしました。
でもきっと数年前に読んでも、うまく理解できなかったであろうと思うので、だから今なのか…と。
「100分de名著」4週間の放送の間に、本は続けて2度読みました。今のタイミングで読むことになるというのも何か…を感じます。

放送を観て、本を読んで、感じたことはもちろん色々あるのですが、その後に自分の意識がちょっと変わったことを書きたいと思います。

今まで、きれいなもの、きれいな言葉、明るい話などを、見よう、聞こうとしていたように思います。
それは自分の心によくないものは、取り込まないほうがよいというスピリチュアル的な考えでした。

ですが、強制収容所でのあまりにも人間の尊厳を失われた行為が事実であったことを受け入れた時、そのひどい行為を行った側にも目をそらしてはいけないのだと感じたのです。(ひどい行為を受けた側の心理は別の機会に書こうと思います。)

なぜ、人に、これほどまでひどい行為ができるのか、その心理状態はどうなんだろう…と、どこか客観的にみられたような気がします。きっと自分に投影しないからだな…と思いました。

ひどい事を言う、ひどい行いをする人の心理は、心に傷を持っていて、それを自分では抱えきれず持て余している状態といっていいでしょうか。自分に傷が多い分、他者を傷つけたいという…奥深い闇があるはずです。

でも本人の意識は傷ついているとは認めたくないでしょう。意識の10%が残忍で非情な人間でも、無意識の90%は、今まで傷ついてきた事、そして自分が残忍な事をしてひどい人間であるという認識にも傷ついていると思います。無意識なので本人はそれに気づいていないのでしょうが…そして人の目には、悪魔のような人間とうつってしまいます。

昔から変わらずに続いているいじめという問題もここにあると思います。
いじめはよくない、悪い事…というのは加害者本人もよくわかっていることです。
わかっていても、でも…それでもしてしまう心。その心の闇にどうやったら気づけるのか…

そんな事を感じてから、その闇をみなくてはわからないと思うようになり、ネット上にあるやりとり、たとえばTwitterなどでも、暴言などをあえてみるようになりました。

なぜあえてみるのか、自分が変わったのは、嫌悪感が大きかった以前に比べ、冷静に客観的にみれているので嫌な思いがそれほどないからです。だからといって、どこまで理解できるかは自分でもわかりません。
ただ、大きく広い意味で人間は同じだということは信じたいと思います。


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