木漏れ日の雑木林

金剛山の西山麓で里山の保全活動を行っています。自称若者集団ですが、実態は?

種蒔き第三陣

2023年09月25日 05時33分38秒 | 耕作放棄地

冬野菜の種蒔きだが、順次ボチボチとだが続いている。繰り返すこと、第三陣の番となったようだ。今回は「ホウレンソウ」と「シュンギク」の種蒔きをしようかと思っている。どちらも代表的な冬野菜で、鍋物等で重宝する食材だ。アブラナ科と違って害虫の襲撃も少ないので農薬の心配も不要、心置きなく種蒔きが出来る。ミニ耕耘機を走らせて畝作り、有機石灰と鶏糞をすき込んで下準備はOKだ。何れも根が浅いので、畝高はそう必要は無い。20センチもあれば十分だろう。子狸の苦手な分野だが、畝の側壁を固める作業がある。固めておかないと畝が崩れやすいのだが、ややもするとパスしがち、スコップでの作業が得意では無いのだ。

準備したのは何れも1袋、自家用としては十分過ぎる分量だ。多少残すのも面倒なので、少し厚めだが蒔ききってしまう。ここらが仲間達と異なる分野で、仲間達は程よく蒔いて残量は冷蔵庫で保管しているようだ。結果、間引きの必要性が生じるのだが、手抜きで済ませている。何せ、間引きほど面倒な作業も少ない。必要性は重々理解してはいるのだが。

文面を読み進めていると、無精で面倒くさがりの怠惰な性格が滲み出てるかと思う。そんな子狸でも、程よく野菜類は実ってくれるから有り難い。これが石垣直角氏でないと勤まらないのなら悲劇だ。農作業はおおらか、完璧を求めずともそれなりに育ってくれる有り難さ、大いに助かっています。

さて肝心のホウレンソウとシュンギクだが、無事に所定の位置に蒔き終えた。手法は筋蒔き、畝には各2列の筋を作った。可能な範囲で程よく分散し、密植を避けたつもりだ。畝長が結構あるので、そうそう密植にはならないかと思う。想定は3ヶ月ほど、年末には収穫可能かなと。正月にはお節に限らず鍋類への挑戦も可能でしょう。無論、スーパーに走れば常時可能だが、物流の限界がささやかれてる昨今、必要品が常に店頭に並んでる風景も何時までのことやら。畑から何時でも思うがままに持ち帰れる利便性は幸福ですよ。何よりも食料を他者に依存しなくとも良い生活、これほどの安全保障は無いのかも。

師匠が語っていました。百姓は毎日が1年生よ・・・・・・・・と。心に刻み込みながら、日々農作業に務めましょう。太陽光線はビタミンDの形成に大いに役立つとか何とか。野良仕事の日焼けは勲章物かも知れませんね。

 

 

 

 

 

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殺虫剤の散布

2023年09月24日 05時36分31秒 | 耕作放棄地

農作業を行っていると、悩ましいのが殺虫剤の使用だ。躊躇無く使用される方、悩みつつ使用される方、皆目使用しない方・・・・・多くは3種類に分類されるかと思う。我々は限定使用派だ。簡単に表現すると、特定の品目・時期だけに限って使用するタイプ。少数派では無いかと思っている。それと栽培目的にもよるかなと。率直に言って、商品作物の栽培においては、皆目使用しない手法は不可能と言ってもよいだろう。ご承知のように、我が国では新鮮で綺麗で傷等が無いものを要求される。単純に、葉や表面が虫食った物など店頭に並ぶことは無いでしょう。市場の要求なんです。

家庭菜園等に挑戦されてる方はご承知でしょうが、害虫や害獣の襲撃など日常茶飯事、とりわけ害虫の防止には農薬使用無しがほぼ不可能なのはご理解いただけるかと。我々の場合、商品栽培が目的では無いので自由度は高いです。しかしながら、全く使用無しでの栽培が困難なのは同じ事。従って、用途を限定して使用してるのが実態ですね。一言で言うと、アブラナ科の野菜の幼苗時に1~2回使用・・・・・というのが仲間達の大半でしょう。アブラナ科の野菜類はとりわけ蝶類の襲撃が激しく、モンシロチョウなど卵の産み付け放題、まさに蝶の楽園と言った雰囲気です。

使用する薬品はマラソンかスミチオン、1000倍~2000倍程度に希釈して使用しています。上述したように、幼苗時に限定して1~2回の頻度ですか。理由は収穫時まで数ヶ月の時間が取れ、農薬成分も抜けてくれるだろうとの判断です。最近は農薬効果が数日だけといった商品も開発されているとか、時代は進んで来ているようです。自家用目的なので無農薬栽培も可能では・・・・・との疑問もお持ちでしょう。実際に栽培されたらお解りかと思いますが、アブラナ科の野菜を無農薬栽培すると骸骨状態、食べれる部分などほぼありません。

現時点で植え込んでるのは、ハクサイ・キャベツ・ダイコン・カブの4種類がアブラナ科、手動式の散布器を使って薄く広く散布しました。少なくなりましたがモンシロ等は今も飛翔中、襲撃の可能性は大です。皆目、使用無しでの栽培が可能であれば農作業も楽なんですが・・・難しいですね。尚、苗が大きくなったりアブラナ科以外は基本農薬は使用していません。原則、襲撃にも耐えうるとの判断で、自家用分には申しぶん無い品質かなと。

 

 

 

 

 

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栗と柿のシーズンへ

2023年09月23日 05時40分04秒 | 耕作放棄地

お彼岸に入った。本日は彼岸の中日つまり秋分の日だ。まさにお彼岸ど真ん中である。気候も秋らしくなってきたようで、朝夕は少し涼やか、被っていた夏布団もやや厚めの物に取り替えた。秋は好みの季節だ。好きな理由は様々あるが、何よりも過ごしやすい。果物が美味しいのも理由の一つだろう。種類はお好み次第だろうが、時期的には柿や栗から始まるかな。地域にもよるだろうが、最初に出回るのが渋柿、当地では「ヒラタネ」の品種が多い。無論、渋のまま賞味するのでは無く渋抜きを行う。個人的には焼酎の活用が多いが、業務用としては炭酸ガスの利用が多いようだ。袋に詰めた渋柿に炭酸ガスを注入し、一瞬にして渋を抜いてしまう。何よりも焼酎のように水分を使用しないので、柿が傷みにくい。

続いて出現するのが栗だろうか。当地では「丹波栗」の品種選択が多いようだが、粒の大きな見事な栗である。森の果樹園でも沢山の栗を植え込んでおり、イノシシと取り合いを行っている。次回の作業日は10月の1日、恐らくだがメインテーマは栗拾いとなってくるだろう。張り渡したネットに落下した栗がイノシシに食害されず無事である事を願いたい。栗は劣化が早い。出来れば落下したその日のうちに収穫したいのだが、早々都合良くも運んではくれない。何せ山の中腹、毎日栗拾いへと通うわけにもいかないのだ。

そうそう先日梨の話を取り上げたが、梨もこの季節だ。ご多分に漏れず、森の果樹園にも何本もの梨の木を植え込んでるが、実がなったのを見たことが無い。受粉には別品種の梨の木と蜂や昆虫の存在が必要だが、どちらにも恵まれなかった模様。ひたすら徒長枝の枝切りを行ってるばかりだ。梨も「20世紀梨」の全盛だったが、何時の間にか「幸水」や「豊水」に取って代わられたようだ。甘くて瑞々しい梨の出現は実に有り難い。

柿の実も美味しいのだが、贈答用には「富有柿」の出現を待つ。渋柿のヒラタネが9月、甘柿の富有柿は10月下旬からだ。毎年狙うのが九度山の柿、紀州北部の名産地だ。地元では「日本一の柿の里」と自称しておられるが、看板には偽り無しのようで・・・・・・・・せっせと九度山通いを続けている。大粒の丸々とした柿は秀逸の表現が適切なようで、しかも価格もリーズナブル、是非にご賞味あれ。当地にも富有柿は存在するが、やはり栽培技術の差異が現れるようでして・・・・・・ハイ。何処の世界も一緒ですが、やはりモチはモチ屋、長年の熟練の技が光るようです。

 

 

 

 

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梨の実の出現

2023年09月22日 06時39分42秒 | 耕作放棄地

4~5年前だったかと思う。地主の婆様かと思うが、畑の法面に2本の広葉樹を植え込んでおられた。樹高1メートル程の苗木だったので、土手の崩壊防止に植え込まれたものと思っていた。果樹木との認識は皆目無かったのだ。以来数年が経過、1本は枯れてしまったが、残りの1本は生き延びて樹高3~4メートルの青年木と育った。昨日、近くで電気工事を行ってる業者の方が、これ梨とチャウか・・・・・・との発言。改めて注視してみると、梨っぽい実がぶら下がっている。それも何個をも。どう見ても梨の実らしい。食べ慣れた「豊水」や「幸水」と全く同じような外観なのだ。

不思議だったのは、植樹後数年のあいだ、地主殿の手入れは皆目無かった。全くのほったらかしで、水やりも施肥も見かけなかったのだ。それと更なる不思議、近くに梨の木を見かけないこと。果実の発生には受粉が必要かと思うのだが、受粉させてくれる梨の木が見当たらない。どうやって受粉したのだろうか。蜂や昆虫の姿も余り見かけなかったが、蜜探しに遠距離飛行を行ったのだろうか。摩訶不思議な現象だが、実なりは事実だ。画像の実が証明している。直径で10センチ程度、少し小振りだが正常な梨の姿のようだ。

恐らくだが地主の婆様には植え込まれた認識も少ないのでは無かろうか。数年間の放置が物語るように、植樹の時だけの認識だったように思われる。年に数回、時たま農園を訪問される時もあるが、不定期だ。遭遇出来れば伝達するのだが、チャンスは少ない。季節は9月の末期、梨のシーズンでもある。無事なる発育を喜びたいが、果たして食べられる状態なのかどうか、了解を戴いては無いが1個を試食してみようかと思っている。

梨と言えば森の果樹園にも何本も植え込んでいるが、実の姿を見かけたことが無い。恐らくだが同一品種で受粉の可能性が無いのかと思う。現場が山の中で、昆虫達の訪問も少ないのだろう。無論、手入れが不十分で栄養素が足りない・・・・・・と言った現実も無視できない。それにしてもどうして受粉したのか、疑問だらけだ。とりあえず不十分とはいえ、実はなったのだから「お礼肥」だけは散布しておこうかと思っている。

 

 

 

 

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畦道には彼岸花

2023年09月21日 05時52分14秒 | 棚田

彼岸花、別称を地域によっては曼珠沙華とも呼ぶ。初秋を代表するような野草である。多くは田圃の畦道に咲き誇り、黄金色の稲穂と対を為してもいる。理由は経緯があって、彼岸花を植え付けつけたそもそもの事情が野ネズミやモグラ対策にあったようだ。ご存じのように野ネズミは雑食性、主に穀物類を主食とする、狙うのが大量に存在する稲穂や籾類なのだ。田圃の稲穂など外敵も少なく、打って付けの食料であろう。そこで活用されたのが彼岸花、その持っている毒性で田圃への野ネズミの侵入を防止しようと考えた模様だ。神社によっては狛犬代わりにキツネを祭ってる所もあるが、同様事情によるのだろう。

彼岸花の特徴は真っ赤な大輪の花を咲かせることだ。地域によっては白や黄色の花もあるようだが、大半は赤色。それも花だけの存在で葉は見られ無い。従って独特な形状であり、中には忌み嫌う者も存在する。子狸も苦手なタイプ、畦道に咲き誇っていても摘み取ろうとは思わない。良く墓地に咲いている事もあるので、死者の花とも思われたようだ。土葬だったその昔、遺骸をネズミから守るために植え込まれた模様。ただ遠目には綺麗な花で、接近しない限り眺める分には支障ない。初秋の農村風景として撮影も行うのが通例、遠目には結構絵になるのだ。

何枚かの画像を挙げておくが、稲穂とのコントラストは結構様になってるでしょう。かくして彼岸花を敬遠しながら撮影は行うのだから、身勝手なものである。彼岸花は文字通り、お彼岸の頃に咲く。季節を伝える花でもある。この花が咲き出したら稲刈りの季節でもあるのだ。かくして彼岸花と稲刈りと秋祭りとが同じ頃の風景、農村を代表するような光景でもあるのだ。秋の風物詩でもあるだろう。

村中でも彼方此方で咲き出した。当地はほぼ全てが赤色で、別色の彼岸花は見当たらない。お隣の河南町で黄色の彼岸花を見掛けた事があるが、今も健在であろうか。茎は枯れても球根は残るようで、現在も同地に花を咲かせているのでは・・・・・と想像しているのだが。

千早赤阪村も秋色に染まってきた。待望の稲刈りも間もなく始まる。そして収穫が終わると秋祭りの季節、当地では10月の第三土日が祭礼日だ。大阪でも一番遅い秋祭りであろう。やはり山間部の冷涼な気候で、収穫にも時間を要した事情によるのだろうか。ともあれ秋祭りが終わってタマネギやエンドウを植え込むと年内農作業も大半が終了だ。静かな農閑期と寒冷な冬場へと季節は巡っていく。

 

 

 

 

 

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