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寺院笠置0729 笠置寺 千手窟  東大寺・お水取り

2020年10月20日 17時38分11秒 | 寺院

 

千手窟

「笠置の龍穴」とも呼ばれ、社には龍神を祀る。天平勝宝3年(751)「東大寺 実忠和尚、ここより未未仏 弥勒菩薩の住する世界、都率天に至り、天乗の行ずる修法を伝授され人間界に移した」と縁起に記される。

11面観音悔遇行発祥の場、仏の世界への入り口である。実忠和尚、天平勝宝4年(752)、笠置寺大内に正月堂を建立され天乗より伝授された行法を修法。和尚により同年2月、東大寺に二月堂が建立され、この行法が修された。

これが、今日まで続く二月堂の悔遇行(通称お水取り)である。

゛悔遇゛とは我々が知らず知らずに犯す罪について11面観音の宝前において懺悔いることである。

ちなみに東大寺山内には、二月堂・三月堂・四月堂があるが、正月堂はない。実忠和尚建立の正月堂は、ここ笠置寺にある。

千手窟

1200年来、笠置寺の修行場であり二月堂のお水取りの行法も実忠和尚がこの修行場で行中感得されたものである。東大寺大仏殿建立の用材は木津川を利用し奈良へ送る計画をたてたが日照りつづきで水量少なく計画通り大仏殿の建立があやぶくなったとき実忠和尚がこの場で雨乞いの修法をおこない大雨を降らせ予定通り大仏殿を完成させたと伝う。この故事から以後大仏殿の修理の折りは必ずこの場で無事完成を願っての祈願法要が執り行われたという。

 

 

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寺院笠置0730 笠置寺 伝 虚空蔵磨崖仏

2020年10月20日 17時37分11秒 | 寺院

 

 

 

 

 

伝 虚空蔵磨崖仏

寺伝では弘仁年間(810~824)弘法大師がこの石にのぼり求聞寺法を修し一夜にして彫刻せし虚空蔵菩薩といわれる。

彫刻の様式から中国山西省雲南の磨崖仏に相通じるものがあるところから本尊弥勒磨崖仏と同様奈良時代の渡来人の作と考えられる。先年拓本にとり8m×10mの大掛軸が出来た。

おそらく拓本の掛軸としては最大だろう。

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寺院笠置0728  笠置寺 弥勒磨崖仏

2020年10月16日 15時55分19秒 | 寺院

 

 

本尊弥勒磨崖仏

笠置寺本尊仏

古来より天人彫刻50尺の仏といわれているが調査の結果では奈良時代中期には彫刻されていたようで天人とは中国大陸から来た人たちのようである。

磨崖仏前の礼堂が創建から三度火災にあいその都度本尊磨崖仏も火をあび彫刻された表面は焼け崩れてしまった。しかし、平成22年秋特殊カメラとその技術で残った線を探したところいたるところから最初の彫刻線がみつかりその線をつなぎ合わせ完成されたのが堂内の画像で1300年前の本尊50尺の弥勒磨崖仏のお姿である。

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寺院笠置0727 笠置寺 十三重石塔・重要文化財  五輪石塔

2020年10月09日 17時33分15秒 | 寺院

 

鎌倉時代・室町時代 重要文化財

無銘のため建立年代ははっきりしない。寺伝によるともと木造であったが、元弘の乱によって焼失し、乱による戦死者の霊を供養するために石造に改めたという。

 

この五輪石塔は、元弘の役に戦死した石川義純および錦織判官俊政の墓と伝えられる。

寺院 前回の記事 ⇒ 寺院笠置0726 笠置寺 笠置石

 

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寺院笠置0726 笠置寺 笠置石

2020年10月07日 21時58分39秒 | 寺院

 

左から  薬師石 笠置石・真ん中の隙間に挟まったような石・1.5m程  文殊石

 

 

 

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寺院笠置0725 笠置寺

2020年10月06日 20時06分16秒 | 寺院

 

山門

天武天皇 勅願所

後醍醐天皇 行在所

笠置山寺縁起

笠置山寺の歴史は古く、その創建は不明であるが出土品からみて飛鳥時代すでに造営されていたようである。

奈良時代大和大峰山と同じく修験ばとして栄え、平安時代には永承7年(1052)以後世の末法思想とともに笠置山寺本尊弥勒陀摩崖仏は天人彫刻の仏として非常な信仰を受けた。

更に鎌倉時代、建久2年(1191)藤原貞慶(解脱上人)が日本の宗教改革者としてその運動を当寺から展開するとき信仰の寺として全盛を極めた時代であった。

しかし、元弘元年(1331)8月討幕計画に失敗された後醍醐天皇の行在所となり幕府との攻防1ケ月9月29日全山焼亡、以後復興ならず、室町時代少々の復興をみるも江戸末期には荒廃、ついに明治初年無住寺となった。明治9年、大蔵丈英和尚賜をこの山に止め復興に力を尽くすこと20年ようやく現在の姿に山容を整えられたのである。

 

 

笠置型燈籠

 

本尊仏香爐  奈良時代 20mの摩崖仏宝前の香爐

 

 

筋土塀

 

鐘楼 1196年の東大寺俊乗防重源和尚の作

 

 

 

 

春日明神社  

椿本護王宮

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寺院長岡京0724 勝龍寺 真言宗 洛西観音霊場第14番札所

2020年09月01日 05時49分59秒 | 寺院

春日神社と隣り合わせです

 

本尊11面観世音菩薩

本尊の11面観世音菩薩像は鎌倉時代の重要文化財

806年以降 空海が開基

1319年に鋳造された鐘が大阪府能勢町の真如寺に残る

このような 仏像がある

 

11面観世音菩薩

 

正勝大神

最近のものでしょうか ボケ封じ観世音菩薩

 

 

 

 

 

 

 

関連記事 ⇒ お寺・神社めぐり07  洛西33所観音霊場

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寺院長岡京0723 安楽寺

2020年08月14日 07時49分38秒 | 寺院

 

 

 

 

 

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まち歩き上1183 京の通り 御幸町通 NO4 浄慶寺

2020年05月10日 07時44分55秒 | 寺院

 

 

 

 

 

 

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寺院左0722 真乗院 応仁の乱の首謀者・山名宗全公の墓所

2020年04月30日 06時20分51秒 | 寺院

永享8年(1436)に山名宗全(山名持豊)が香林宗簡(139世)の塔所として開いた塔頭で、境内墓地に宗全の墓がある。

 

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関連記事 ⇒ 山名宗全 邸跡  6月21日 NEW

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