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人物023  本阿弥光悦

2018年10月14日 06時13分09秒 | 人物数々

 

1 本法寺  光悦・長谷川等伯 ゆかりの寺

2 京を彩る 琳派  京都国立博物館

3 琳派400年  仁清・乾山の遺物・遺跡の展示

4 本阿弥光悦京屋敷跡 58歳までこの地に暮す

5 茶屋四郎次郎邸宅跡 石碑

6 寺院上0270  妙蓮寺  日蓮宗本門法華宗の大本山 

7 寺院北0499 光悦寺 日蓮宗

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寺院北0499 光悦寺 日蓮宗

2018年10月14日 06時11分30秒 | 寺院

 

大虚山と号する日蓮宗の寺である。当地は、元和元年(1615)徳川家康よりこの地を与えられた本阿弥光悦が一族、工匠等と移り住み、芸術郷を築いたところである。光悦は、刀剣鑑定のほか、書、陶芸、絵画、蒔絵などにも優れ、芸術指導者としても活躍した。当寺は、本阿弥家の位牌堂を光悦没後に、本法寺の日慈上人を開山に請じて寺に改めたものである。京都市

 

本堂には本尊十界曼荼羅を安置し、境内には太虚庵をはじめ三巴亭・了寂軒・本阿弥庵等、多くの茶席がある。

 

このうち三巴亭茶席には光悦像を安置する光悦堂があり、その南の太虚庵茶席は大正4年(1915)の再建で、切妻造り、こけら葺き、前面に付廂があって、入口には板戸二本引きのにじり口、東側には障子二枚引きの貴人口を設ける。内部は五畳台目、床を点前座に方に寄せている。また床内は土天井とし、隅を塗廻しとしているのはむかしの太虚庵茶室の名残りを示す。内露路には光悦遺愛の薄墨の手洗鉢があり、それを囲む垣根は、世に光悦垣ともいわれていて有名。

 

また了寂軒茶席はもと常題目堂のあったところと伝え、その下方の翹秀軒茶席は紙屋川にあって、前方にそびえる鷹峰・鷲ケ峰を一望できる景勝の地。

 

本阿弥光悦の墓は境内の東南隅にある。墓石には「南無妙法蓮華経 了寂院光悦日豫居士」と刻まれている。光悦は世襲の相剣業を以て徳川家康に仕え、鷹ケ峰の地を賜って、太虚庵をむすんで隠居し、寛永14年(1637)2月3日、80歳で没した。墓の近くには光悦の子光瑳、孫の光甫の墓および親交のあった所司代板倉勝重・重宗親子の墓がある

 

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