人家は昔から7軒しかない。この地は『延喜式』に記されている「愛宕郡栗栖野氷室」にあたる。氷室は仁徳天皇の代、額田大中彦皇子が大和国闘鶏に遊猟の折り、山中にて氷室を発見し、氷を天皇に献上されたのがはじまりであるといわれ、それより諸国に氷室を設置されたことが国史にみえる。その後、平安遷都におよんで京都の周辺に6ケ所の氷室が設置された。①右京区御室住吉山 ②左京区上高野氷室山・左京区松ヶ崎丈ケ谷③北区西賀茂氷室町④北区西賀茂西氷室町⑤不詳⑥北区衣笠氷室町。
ここはそのうちの1つである。
氷を貯蔵した室址は杉坂へ行く道の北側に3ケ所残っている。今は樹木や土砂に埋もれて、その跡は見分けにくい。約20平方メートルぐらいの広さの窪地になっている。また、氷を作った池は、現在5ケ所あり、いずれも小さな池で、今は灌漑用水地となっている。明治時代に竜紋氷室と称して我国製氷界に活躍した京都の実業家山田啓助翁は、はじめこの池の氷池を利用したといわれる。なお西方の山腹には清原頼業以来代々主水司をつとめたこの地の領主清原氏およびその支族の伏原氏一族の近世の墓がある。
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清雲山と号し、寛永7年(1630)日任上人が創建した日蓮宗本満寺派の寺で、俗に岩戸妙見とよばれる。本堂には釈迦法華題目碑を安置し、妙見堂には妙見菩薩を祀る。この妙建像は足下に霊亀を踏まえ、右手に剣、左手に白蛇をにぎり、頭上に北斗七星をいただいた高さ約6尺(約2メートル)の石造神像である。日任上人が霊夢に感じ、霊巌寺の妙見を祀ったものと云われ、寺では霊厳寺の旧跡と称している。
境内には常富明神を祀った常富殿や痔神として崇敬される秋山自雲居士の墓があり、境内西北隅の墓地内には江戸初期の儒者 三宅亡洋一族の墓がある。
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