灌田記念碑・大蛇ケ池
乙訓郡大原野村字石見上里区戸数百余農を以て専業とす古来水利便ならす灌漑たために寝食を忘れしこと尠からす明治16年の大旱に當りてば殆と人力の極を盡して而も秋實を見ること能はす徒らに天を仰いて痛恨せるのみ爾後西巒の伐採は當區唯一の水源で枯渇せしめ加ふるに區内の丘陵は悉く孟宗畑と化し保水力を失ひくるを以て旱害を蒙ること更に甚し地主相會し潴水池開墾の議を決し耕地整理法に基き組合長以下役員15名を選任し百難を排け大正6年起工約2年にして竣工し大蛇ケ池と命名す水量実に400萬立法尺灌漑60町歩余に及ふ此に至りて旱害初めて去り區民其の業に安んす今・に小作團員相謀り碑ふを建て以て此洪徳を記念せんとし余に撰文を嘱す余其の美擧を賛し書して以て之を與ふと爾云
京都府乙訓郡長従七位福田増藏撰 能村仲襄書
反対側には 多くの人の名が記されています
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