寺院右0002 広隆寺 (こうりゅうじ) 「太子さん」とも言われている
蜂岡山と号し真言宗御室派。当寺は推古天皇11年(603)秦河勝が聖徳太子より一体の仏像を賜ったが、推古天皇30年(622)太子の死後、その菩提を弔うために仏堂を建立したのが起こり。はじめ北野白梅町付近にあったが、天智天皇のときに現在の地に移された。また、桓武天皇の平安京造営に際して転出したとの説がある。
創建当初は秦氏の氏寺として崇められ、秦公寺と称したが、葛野寺、蜂岡寺、桂林寺・三槻寺ともいった。聖徳太子有縁の寺院として栄えた。
弘仁9年(818)に全焼の役に厄に会い、承和の頃に秦氏出身の道昌僧都を中心として復興されたが、久安6年(1150)再び全焼し、永万元年(1165)に至って復興した。
現講堂はこの時の再建である。
平安時代以降は本尊薬師如来に対する信仰があつく、多くの人が参籠した。
歌人の周防内侍もそのうちの1人。彼女は病気平癒祈願ょ参籠した。
その後、薬師信仰から太子信仰が盛んになると、境内に桂宮院の八角円堂を建立し、太子の故宮として顕彰され、また太子像を祀った上宮王院を以て本堂とする等、近世以降は聖徳太子の寺として信仰をあつめた。広隆寺を「太秦の太子さん」とよばれる。
「太子道」と通り名もある。
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