出雲の阿国は「於国」、「国」、「郡」、「久仁」などともきろくされている。出生や経歴については確実な史料がない。生没年不詳。
江戸時代の「出雲阿国伝」は「出雲国の鍛冶職人の娘で、永禄時代(1558~70)に出雲大社修理の勧進のために神楽舞をしながら諸国を巡業していて、美女だったこともあって評判になった。阿国の考案したかぶき踊りは織田信長や豊臣秀吉らにも気に入られた」と記されている。
阿国が現れたのは1582年(天正10)奈良市の春日大社で上演された「ややこ踊り」に8歳の「加賀」とともに出演している。
この時、阿国は11歳だったとされています。
また、1600年には京都で「菊」とともに、ややこ踊りを演じている。「ややこ(稚児)」は「赤ん坊」のことで、ややこ踊りは幼女のかわいい踊りのことらしい。
阿国のかぶき踊りはブームを起こし、阿国は1604年(慶長9)、京都を去って伊勢の国の桑名へ、1607年(慶長12)、江戸城で興行している。
四条河原の芝居小屋は江戸時代の寛永年間(1624~44には常設されていたらしい、飲食店、茶店などが軒を並べ、遊興街として発展した、1714年現在、四条河原付近に茶屋169軒、旅籠45軒、水茶屋123軒があった。また、芝居小屋は7軒あった。南座の北の北座は1893年(明治26)に廃座された。
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