紀貫之
「土佐日記」で知られる平安前期の歌人で歌学者、文章家。
「古今和歌集」の選者の一人でもあるが、36歌仙の一人に数えられ、醍醐、朱雀両天皇に仕えて御書所領から土佐守、玄蕃頭、のち木工権頭に至った。そのほかの歌集に「貫之集」 「古今集序」「大堰川行幸和歌序」 「新撰和歌」などがある。
天慶9年(946)の没だが、生年は不明。その没時まで住んでいた元万里小路(柳馬場)通り椹木町の宅地に祀られていたのが、上京区葭屋町一条辺に移されたと伝えたのち不明となっているが、また西本願寺北側の観持寺と、壬生川通り五条下ル辺にも紀貫之を祀るという福大明神社がある。
墓は、比叡山の大乗院の東北方にある。
紀貫之が詠んだ歌は
逢坂山
大堰川
桂川
紙屋川
で残っている。
紀貫之の女(娘)は どんな人かが わからない
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