常盤御前
時代祭では義朝の死後、清盛に子どもたちの助命を嘆願するため、息子の牛若丸を懐に抱いて六波羅に向かう姿が再現されている。
源義朝の妾、近衛天皇皇后の雑仕。今若、乙若、牛若の母。平治の乱で義朝を失い捕まったとき「3人の子は武士にしないから」と命乞いをして平清盛にかこわれた。のち一条長成と再婚。生没年不詳。
源光寺(右京区常盤馬塚町)
寺の東側にある。墓石は84程の自然石で、表面に「源氏義経御母室常盤御前御墓」とある。伝説によると、この地は常盤御前の生誕地といわれ、今若、乙若、牛若の三子を手放してのち、この墓所の桜の木の下に庵をむすんで冬ごもりをしていたと伝わる。
宝樹寺(東山区本町11丁目)
薬師如来坐像は世に子育常盤薬師とよばれ、常盤御前が牛若丸の生長を願って日夜祈願をこめた像と伝える。他に常盤御前雪除けの松の残株というのがあり、常盤御前が大和へ逃避の折り、伏見街道の老松の下でしばし雪の降るのを避けたと伝える。また、常盤御前が平清盛にしばらく囲われていた屋敷址というのがこの付近にある。(今熊野下池田町付近)
常盤御前就捕処碑
逃避行を続けていた常盤御前は、実母が拘束されたことを知り、六波羅に出頭しようと奈良・宇陀の里から戻る途中、伏見で平氏側に捕まったと伝えられる。
(伏見区西奉行町・伏見合同宿舎内)
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