社号標 郷社 諸羽神社
参道が ずっーと続く
天孫降臨の神話の中で、瓊瓊杵尊の左右に従った天児屋根命と天太玉命を祀るところから、雨羽大明神と称したという。
貞観4年(862)清和天皇の勅命にこの地に社殿を建てたのが当社の始まりとされる。この後、正殿に応神天皇、脇殿に伊弉諾命、素戔嗚尊、若宮八幡宮を合わせ祀るようになり、
社名の「雨羽」の文字を「諸羽」に改められた。社殿は応仁の兵火により焼け、その後もしばしば火災に遭った。
当社は山科十八郷の中で第4番目に当たるとされ、古くは「四ノ宮」と呼ばれて、この付近の産土神として人々に崇敬された。神社の背後の山は諸羽山といい、平家物語の中に「木曽、もろは山の前、四の宮川原に打出て・・・」と記されているのは、当社周辺のことである。 京都市
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石鳥居 前回の記事 ➡ 石鳥居241基 日向大神宮 社号標 と 安養寺 寺号標 仲良く同居ですね
川柳
その道のおたくテレビじゃアナリスト /上沼
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