寺田町 古城
応仁の乱の激戦地の1つ、「寺田城」があった場所といわれている。中世の城は、館と呼ばれるかまえをしていたが、土地の人は「城」と呼び、城がなくなった後も地名として伝えている。
江戸時代の耕地図によれば小字名を「御城ノ内」といい、周囲に堀跡らしき地割りもみられます。中世寺戸の土豪の館跡かと考えられてきましたが、発掘調査では明確な遺構が確認できませんでした。
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