願徳寺宝菩提院跡
今から1300年前の白鳳時代、この付近に本拠地をおいた豪族が五重塔や金堂などの仏教建築を造営しました。
大同5年(810)、嵯峨天皇の病気回復を祈願した「長岡寺」は当寺院のことだと思われます。
別名を「願徳寺」といい、鎌倉時代には宝菩提院が併設され、以後天台密教の道場として発展しました。織田信長の兵火による焼亡を経て慶長8年(1603)に再興しましたが、昭和39年に廃寺となりました。昭和48年京都市西京区において再建されました。
発掘調査では、平安時代のわが国最古の湯屋跡は入浴施設として注目されます。
本尊であった木造菩提半跏像と同じ時代の遺構でもあります。
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