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源氏物語遺跡29 大雲寺旧境内 北山の「なにがし寺」候補地

2019年11月12日 14時35分53秒 | 遺跡・遺物

 

 

大雲寺旧境内 北山の「なにがし寺」候補地

当辺は『源氏物語』「若紫」に登場する北山の「なにがし寺」の候補地の1つとされ、元は大雲寺の境内地(寺は1985年に石座神社東に移転)で、現在は北山病院の敷地となっている。寺は紫式部の母方の曾祖父藤原文範が、出家した娘婿の真覚上人のために建立、円融天皇の御願寺となり、49院の僧院からなる叡山西麓最大の天台寺院で、真覚の師が三井寺(園城寺)の僧であったことから寺門派の一大拠点ともなった。

その後、冷泉天皇皇后昌子内親王による堂舎の建立で寺は拡大、岩倉観音院とも称し、この時の法要は盛大で、紫式部の父の藤原為時は何度も話題にしており、紫式部も訪れた可能性がある。

ここが「なにがし寺」候補地とされる理由は、都から比較的近い距離にあって高僧が住み、かつて庭に遣水のほか、趣きのある滝があって、光源氏がわらわ病の祈祷を受けた老僧の巌窟を想起させる雰囲気があることによる。旧境内には冷泉天皇皇后昌子内親王岩倉陵がある。なお「なにがし寺」の候補地としては早くから鞍馬寺が挙げられる。

 

 

 

不動の滝(妙見の滝)

古来、大雲寺で心の病がよくなるように加持祈祷をうける人たちの「垢離場」で、心の病の方々を滝に打たせると本復するといわれ、全国から霊験を求めて人が集まってきた。その人たちの滞在を引き受けた籠屋(のちに保養所と称した)の1つが、現在の北山病院へと発展した。

向かって右に「不動明王」 左に「妙見菩薩」を祀り、2筋の滝水が流れ落ちている。

明治以前は、背後の山腹に朝日妙見が祀られ洛陽十二妙見霊場の筆頭として妙見信仰の滝行場でもあった。 平成17年11月 大雲寺住職 酒井敬淳

 

 

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