法成寺跡
寛仁3年(1019)、出家した藤原道長は自邸、土御門殿と東京極大路をはさんだ東で、鴨川の西に九体阿弥陀堂の建立を発願し、翌年に落慶供養、以降10年ほどかけて金堂・薬師堂・釈迦堂・五重塔など壮麗無比な諸堂が出現した。平安京外の東一帯に位置することから、「北東院」とも呼ばれ、鴨川から臨むその姿は宇治川から見える平等院のモデルともいわれている。度重なる火災や地震に遭い、そのつど再建されてきたが、14世紀前半にはかなりすたれた(『徒然草』)、残っていた無量寿院(阿弥陀堂)の炎上をもって消滅した。ここには寺跡を示す「従是東北法成寺址」の石碑がある。発掘調査では法成寺跡の遺構は見つかっていないが、鴨沂高校や京都御苑内から平安時代中期の緑釉瓦が出土している。
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