北吉野山と号する真言宗智山派の寺で、金剛蔵院という。
推古天皇4年(596)聖徳太子の創建と伝わる。また天武天皇4年(676)役小角が来山して修行中、童子と化した子守・勝手・金精の三神とともに一体の蔵王権現の像をつくり、本尊として安置したのが当寺の起こりと伝わり、寺号も神童寺と名付けたという。また、むかし吉野の大峯に毒蛇が多く、山伏修験者の入山ができなかったことから大峯に准じ、この地を吉野に擬して開創したしたとも伝わる、創建年ははっきりしないが、平安初期に興福寺の僧願安によって再興され、法相・真言宗の道場となった。
中世にはしばしば兵火に罹災し、
現在の本堂は応永13年(1406)興福寺の官務懐乗によって再建されたと伝わる。
門前 入口にある 石柱 何と書かれているのか 判読できず
門入口の 小さい蔵
本堂
本堂・重要文化財
蔵王権現像を本尊としているので、蔵王堂ともいう。
本堂 横にある 十三重石塔 鎌倉時代
井戸
石仏
中には 小さな 昔からありそうなものも
梵鐘
本堂と 眺望
鐘楼
当寺の梵鐘は寛政4年(1792)に作られ第2次世界大戦の折に金属回収令により昭和17年10月に供出し今回諸壇越の貴捨により梵鐘を再興するものである。願わくは仏日遥かに照らして結縁の諸壇越を哀悠擁護し賜わん事を
と書かれています
萩が咲いていました 平成29年6月19日 撮影
神童寺 へ行く途中にある 石柱 何が書かれているのか読み取れず不明
何か文字らしいものが書かれているらしいのですが
関連記事 梵鐘の供出 ➡ 西園寺 48願所 地蔵尊 第20番
寺院 前回の記事 ➡ 寺院下0376 東本願寺
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五七五
街出れば 5歳ぐらいは 若返る /福井
ことわざ
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