長圓寺
延命山と号し、浄土宗本派に属する。慶長13年(1608)京都所司代板倉伊賀守勝重が清巌和尚を開基に請じて建立したのが当寺の起こりで、勝重の没後、その法諱「長円院」にちなんで寺名を「長円寺」と号した。堂宇は天明の大火で焼亡したが、15世瑞誉上人のとき再建され、華頂宮尊頂法親王から「長円寺」の額を賜った。いま本堂・庫裏・客殿等の建物があって、本堂には本尊として慈覚大師作と伝える阿弥陀三尊を祀る。また本堂南の観音堂に安置する聖観音像は恵心僧都作と伝え、疫病に霊験があると信じられた。洛陽観音巡り第24番の札所である。 京都市
佛足石
観音堂
洛陽24番長圓寺聖観音縁起
当長圓寺観音堂内に奉安せらる聖観音は往時一條天皇の御代平安京に疱瘡流行し大納言藤原親衝公は之を嘆き天禄3年名僧恵心僧都に乞ひて観音像を作らしめ宮中に奉安37日の祈祷を修せし忽ちにして疱瘡は止みたり
由来疫病除の観音として霊験あらたかなり当時開山超蓮社大誉上人浄阿清巌大和尚は往時三河国永安寺の住職なりしか応仁の乱後京都の諸寺院荒廃せるを嘆き天正15季入京清水観音の霊告により当時叡山に安置せられし此聖観音を空地たりし此地に一小庵を結び奉安せりこれ現今の観音堂の創立なり
上人御齢64歳の折当時京都所司代板倉勝重公は上人に帰依信仰せられ約八百坪の土地を寄進し慈覚大師御作弥陀三尊を安置せる本堂及庫裏客殿を創建せられたり其後天明八年正月晦日京の大火の際堂宇を焼失せしが十五世瑞誉上人両本尊を守られ直後再建せられ昭和六年再度本寺火災に遭い両本尊及び観音堂表門のみ残り翌七年現今の如く再建せり
昭和二十九年正月吉日
延命山長円寺二十六世 真誉代
観音像
堂前の石柱
何が書かれているのでしょうか
堂前の石仏
寺院 前回の記事 ➔ 寺院上0064 教善寺 浄土宗 平安五佛詣 フジの花 今年のフジの花追加
関連記事 ➡ 洛陽33観音巡礼
➡ 長圓寺(上京区)
この記事の近隣の記事は下記地図内のユーザー地図部分をクリックしてください