昭和28年
8月14日、夕刻頃から小雨であったが、22時か23時より強雨となり、8月15日に日付が変わった頃、雷鳴を伴う豪雨となった。午前2時半頃から才田川で最初の決壊、井手町においては低地での浸水が始まった。午前3時頃より玉川下流の右岸(北側)で、下流から順に越流・決壊が発生し始めた。そこへ、午前4時頃、上流にある農業用ため池(大正池・二の谷池)がほぼ同時に決壊し、山津波が発生。これにより玉川の上流でさらなる決壊が発生し、井手町は甚大な被害に見舞われることになった。
井手町玉水地区は木津川堤防、玉川堤防、多賀=谷川の堤防という3方を堤防で囲まれており、典型的な内水水害地区(うちみずすいがいちく)となっていた。そのため、ほかの被災地区では早期に排水が進んだのに対し、この地区は災害後数日たっても水位が下がらす、しかも行方不明者の多くがこの地に流れ着くという状況が発生していた。
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