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宮本水車の里は橋本水車と称されていた。
江戸時代の文化年間に宮本三郎の息子の喜左衛門が分家して水車を造った。
明治初年に京都府が水車を利用する仕事(水車生業)の許可(官帖)を与えた。
その後、宮本家の人々がこの水車による搾油・精米・製粉を生業として従事し、里人の便宜をはかり、喜ばれるところとなった。
昭和28年8月15日未明に山中の池が突如崩壊し、洪水を起こし、激流となり、一瞬にして水車も家屋も消失するという被害に遭う。痛恨極まりなしとなる。
昭和28年の水害が惨事をもたらしたのです。そこで、宮本家先祖の生業を偲び、この碑をここに建立されたという
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