明治20年11月建設
当旦椋神社は、養老4年(720)の日本書紀に栗隈県の大溝(おおうなで)(栗隈大溝)の東側(地名旦椋)に、
古社としてあったと伝えられていますが、この社は天文19年(1550)に焼失しました。
祭神は高皇産霊(たかみすび)、神皇産霊(かみむすび)を主神とし、
天満天神(菅原道真)を配祀するので、「栗隈天神」と称した。
現在の社は、大久保町旦椋の地より永禄9年(1566)にこの地に移転再興されたことが、
吉田兼右の「兼右卿記」に見えます。
また、延喜年間(901~923)に編纂された「延喜式」に記載されている神社を延喜式内社とよび、
旦椋神社もその中のひとつです。本殿は延宝2年(1674)に改築されたもので、
旦椋とは、穀物を貯蔵するところの校倉の古言で、
この地は『和名抄』の「久世郡栗隈郷」にあたるので、栗隈屯倉址に因んで創祀された神社と思われる。
京都府登録有形文化財(昭和60年5月)に指定されました。
本殿 正面は板扉、内法上に竜の欄間彫刻をはめ込む。江戸初期か桃山初期の造りがみられる。
宇治市名木百選
しいのき 群生 ブナ科
高さ 14m、幹周 3.2m 推定樹齢 400年
大久保尋常小学校跡
明治14年(1881年) 栗隈校(4年制の義務教育)として開校
明治23年(1890) 大久保尋常小学校と改称
明治38年(1905) 広野町西裏100番地に移転するまで24年間使用
平成25年(2013) 当時使用されていた井戸跡の保存整備実施
令和の御大典奉祝記念植樹
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