地名 蹴上について
蹴上とよばれるに至ったについては、次のような伝説があ。
安元3年(1177)の秋、牛若丸は金売吉次にともなわれ、奥州へくだる途中、またまたここを通りかかった平家の武士関原与市重治の馬が、水溜りの水を牛若丸に蹴りかけた。牛若丸はその無礼をとがめて争いになり、与市を斬り捨てたという。それよりこのところを蹴上と呼ぶに至ったという。
このとき斬られた与市主従9人の菩提を弔うために、石仏9体を安置したところが九体町で、このうち3体は今も国道筋北側に安置されている。
石仏9体とは粟田口刑場にて処刑された人々の菩提を弔うために安置されたものであり、牛若丸とは関係がないとのこと。
ここにある地蔵堂の石仏はこのうちの1体とのこと。
三条通に面して二間四方の地蔵堂があります。高さ2m。
右手に鉄製の錫杖、左手に宝珠を持つ通常の姿の地蔵を丸彫りしたもの。この表情は「張りのない肉付けと、重い衣文には生彩のない江戸末期の作風を示す」とのこと。
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