琴の橋 大日如来由来記
応仁元年(1467)以来11年間世にいう応仁の乱により家屋敷を焼き払われた民、公家は暗夜に乗じてある者は裸同然の姿でわれもわれもと都落ちしていった。都からさほど遠くないこの乙訓の村々にも都落ちしてきた人々が数多くみられた。ある夜のこと暗い野良道を急ぐ数人連れがあった。長い布で身を隠した一人の娘を取り囲むかの様に急ぎ足で行く刀を差した小者がいたわる様に、月明かりに照らされた姫の美しいほおに涙がキラリと走る。「都の父は如何されたであるか。」ちょうど桂(京都市右京区)から寺戸村(向日市寺戸町)へ入る所だった道が川に行き当った。幅が2メートル近くあり深く橋が下り、か弱い姫を守っての逃避行渡れそうにない「せっかくここまで逃げ延びてきたのに」姫と小者も途方に暮れてしまった。身の不運とあきらめかかったその時、川べりに「お前の供がもつ琴を橋のかわりにしてかけなさい。」姫はハッとした「その声は」なんと日頃から信仰している大日如来のものだった。姫はすぐに小者に命じて愛用の琴を川にかけさせ無事に逃げ延びた。そしてあとから追ってきた父と再会安らかな生涯を送ったという。その姫の名、氏、素性もさだかでない。その後この場所に石橋がかけられ琴の橋と呼ばれて永年親しまれていた。その地より今は故人となられた永井、土谷両氏のご努力により当地に安置し琴の橋大日如来と呼び子供たちの身を守り続けている。
向日市寺戸町三ノ坪第4向陽校前市道を南へ50m下がった農業用水路にかかるコンクリート橋
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