右手前の灯籠は 大正6年1月の建立
樫原三ノ宮神社
由緒
三ノ宮神社は、いつ頃創建されたものか文献がなく不明ですが、この地は樫の森があったことから樫原(かたぎはら)と呼ばれ、「柏原神社」と呼ばれていた時期もありました。御祭神は素戔嗚大神(すさのおのおおかみ・武勇の神)、酒解大神(さけとけのおおかみ・酒の神)、大山咋大神(おおやままぐいのおおかみ・山の神)の三神がまつられており現在は三ノ宮神社と呼ばれています。
古い言い伝えで洛西・大枝山(おおえやま)には京に入洛する旅人を襲って金品を略奪する鬼がおり、その首領の酒呑童子(しゅてんどうじ)は人々に恐れられていました。平安中期の武将・源頼光(みなもとのよりみつ・948~1022)が、この地の小さな祠に供えてあった神酒を飲んだところ、たちまち酔いつぶれました。そこで、この酒を鬼に飲ませ、酔いつぶれたところを退治したといわれています。今でも洛西の大枝塚原に鬼の首塚があります。(鬼とは山賊のことだと言われており丹波の大江山説もあります)このことから、鬼を退治できた「酒の神」、その武徳から「武勇の神」、大枝山から「山の神」の三神をまつり、その神徳をたたえ、社が造営されたと伝えられています。また江戸時代には五代将軍・徳川綱吉(1646~1709)が、この社の神徳を仰ぎ、徳川葵の家紋を許し社殿などを寄進しました。嘉永6年には攘夷祈願で孝明天皇が、社の造営をはかり御所絵師をさしむけ孝明天皇の養子・華頂宮博経(ひろつね)親王からは、菊華紋章入りの提灯などを下賜されました。以来、神紋は菊華紋と徳川紋をあわせて用います。本殿は昭和49年の第60回神宮式年遷宮で伊勢神宮から下賜されたもので、拝殿は昭和51年に造営したものです。例祭は樫原祭(通称たけのこまつり)と呼ばれ5月におこなわれます。みこしの装飾品は立派なもので、慶長金(1600年代)を用いたものと伝えられています。
拝殿と 向こうに 本殿
手水舎
遥拝所
本殿の手前の天井
神輿庫
御車舎
境内社
三ノ宮天満宮
三ノ宮天満宮
由緒 千余年前に現在地を神域として菅公を祀り三ノ宮神社の境内社として産度鎮座の守護神文教の祖神として氏子崇敬者の信仰が厚く昭和47年三ノ宮天満宮を創立する。
神紋は変わり剣梅鉢で社務所は大正天皇の御大礼饗宴場建物を御下賜されたものである。
三ノ宮神社 宮司 木村幸比古
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