
寺号は発遣の釈迦と来迎の弥陀の二尊を本尊とするところから名づけられた。二尊ははじめ九条関白藤原兼実の邸宅に安置されていたが、藤原道家が西山善恵証空上人を開山とし、東福寺門前三ノ橋の南に一宇を創建したのが起こりと伝える。
天正年間(1573~92)上京区寺町広小路の北之辺町に移り、禁裡御内仏殿として宝祚無窮を祈る道場となった。もとは天台宗山門派に属していたが、昭和29年(1954)末この地に移ると共に、浄土真宗遣迎院派の総本山となった。いかめしい表門は、もと岡山の高松城の城門といわれ、
本堂に安置する釈迦・阿弥陀如来立像(重文・鎌倉)は、ともに高さ90㎝、寄木造り、玉眼入、古調を帯びた鎌倉時代の秀作。釈迦は左手に宝珠を持ち、阿弥陀は中品下生の来迎印をむすび、その足柄に巧匠安阿弥の刻銘がある。
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