北白川宮は,智成親王(1856~72)が明治3年(1870)12月から用いた称号で,現在の北白川仕伏町に屋敷があった。当時の白川には,水流を利用して精米などをする水車が多く設けられており,北白川宮の屋敷で用いられる米は,この地に設けられた水車で専門に精米
されていた。明治5年に北白川宮が東京に移転した後も,この地の水車は「御殿車」と呼呼ばれ,明治40年ごろまで製粉業などを続けた。この石碑は,「御殿車」と呼ばれた水車の跡を示すものである。
北白川宮 御殿車 元精米所
明治43年8月29日
石碑 前回の記事 ➡ 寺院左0383 乗願院 石碑左0121 北白川小学校開校の地
五七五
肩の荷はひとつ降ろしてまたひとつ /鬼塚
ことわざ
早牛も淀、遅牛も淀