聖観世音 平安時代 弘法大師作
三面千手観世音 鎌倉初期重文
春日不動明王 毎月8日護摩供養
西国薬師霊場第41番
福寿無量 大原野走り大黒天
真言宗東寺派の寺で、奈良の唐招提寺を創建した鑑真和上の高弟で、天平勝宝6年(754)に鑑真和上とともに唐から来朝した智威大徳がこの地で修練を行ったことに始まる。古くは春日禅坊と呼ばれたが、延暦年間(782~806)に、伝教大師(最澄)が智威の威光を世に示すため、大原寺という寺を創建した。応仁の戦火で焼失したが、江戸時代初期に、恵雲・徴円の両律師により再興され、「西山のお大師さま」として古くから親しまれてきた。
元禄年間(1688~1703)には徳川五代将軍綱吉の母・桂昌院の帰依を受け、代々徳川家の祈願所となった。
寺宝として、本尊聖観世音菩薩(弘仁時代)、三面千手観世音菩薩(重要文化財)をはじめ、貞和2年(1346)の銘がある地蔵菩薩、鎌倉初期の両界曼荼羅などの仏画、徳川家関係古文書などを蔵する。
境内には、全国各地から集められた名石があり、「石の寺」とも呼ばれている。特に、東山連峰を望む借景式山水庭園の「宝生苑」は、庭石が象、獅子、蛙、うさぎ、鳥、亀など動物の形に似てるため「鳥獣の石庭」として親しまれている。京都市
石徳五訓
1 奇形怪状、無言にして よく言うものは石なり
2 沈着にして、気精永く土中に埋もれて 大地の骨となるものは石なり
3 雨に打たれ、風にさらされ、寒熱に耐えて 悠然動ぜざるは石なり
4 堅質にして、大廈高楼の基礎たるの 任務をはたいものは石なり
5 黙々として、山岳庭園などに趣を添え 人心を和らぐは石なり
遍照塔
正法寺遍照塔(旧忠魂堂)1棟
京都市指定有形文化財
正法寺遍照塔(旧忠魂堂)は、明治41年(1908)、日露戦争の戦没者慰霊のため京都尚武義会により高台寺境内南側の広場(東山区下河原町)に建設されたもので、平成22年、当寺に移築された。
設計主任を京都府技師亀岡末吉が担当し、明治41年3月に起工、同年9月に竣工している。亀岡は、社寺建築を中心とした設計活動を展開し、「亀岡式」と名付けられた華麗な彫刻意匠は、当時の建築界に大きな影響を与えた。遍照塔は、亀岡が手掛けた最初の作品である。
建物は六角二重塔という特異かつ稀有な形態で屋根は宝形造チタン葺とする。意匠には古代から中世にかけての社寺建築の様式細部が採用される。下層の円柱は、飛鳥時代から平安時代前期にその遺例のある「銅張り」、蟇股は平安時代後期から室町時代以前にみられる様式とし、上層の高欄の斗束はしたの広がった撥形で、奈良時代後期まで遺例が認められる組高欄の範をとる。本建築は、大正以降、近代社寺建築の作風手法に影響を与えたとされる「亀岡式」意匠確立のための歴史的な創生源であったと位置づけられ、近代日本における社寺建築の進展・形成過程を知る上で、きわめて貴重な遺構である。
平成26年3月31日指定 京都市
春日不動明王
春日稲荷
清め不動尊
鼓動不動
複雑な樹形
お寺の入口
西国薬師霊場第41番札所
洛西観音霊場番外札所
京都六大黒天霊場第3番札所
など
ユニークな石
本堂正面の門
本堂
新四国第9番札所 真言宗 正法寺 と書かれています
石を使った 休憩所
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