開店しているのだろうか
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き中1535 京の通り・堺町通 NO12 法衣店
次回の記事 ⇒ まち歩き中1537 京の通り・堺町通 NO14 お地蔵さん
下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き中1534 京の通り・堺町通 NO11 通り名・町名看板 錆がきつくて読めない
次回の記事 ⇒ まち歩き中1536 京の通り・堺町通 NO13 店・かばん屋
下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます
町名看板 仁丹看板と違って 錆がきつい ほとんど読めません
仁丹は ホーロー焼です錆びにくい
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き中1533 京の通り・堺町通 NO10 仁丹通り名町名看板・鍾馗さん・町名 絹屋町
次回の記事 ⇒ まち歩き中1535 京の通り・堺町通 NO12 法衣店
下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます
絹屋町 (絹和町) 2つ表記されています 京都市内、絹とつく町名はここだけ
関連記事 ⇒ 上京区 竹屋町通 仁丹
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き中1532 京の通り・堺町通 NO9 竹屋町通
次回の記事 ⇒ まち歩き中1534 京の通り・堺町通 NO11 通り名・町名看板 錆がきつくて読めない
下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます
南方向を見る 右の家に仁丹看板が見える。
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き中1531 京の通り・堺町通 NO8 仁丹・通り名町名看板
次回の記事 ⇒ まち歩き中1533 京の通り・堺町通 NO10 仁丹通り名町名看板・鍾馗さん・町名 絹屋町
下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます
上京区 から 上の字を中に修正してある
関連記事 ⇒ 中京区 堺町通 仁丹
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き中1530 京の通り・堺町通 NO7 路地
次回の記事 ⇒ まち歩き中1532 京の通り・堺町通 NO9 竹屋町通
下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます
石畳が歴史を感じさせます
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き中1529 京の通り・堺町通 NO6 蔵のある風景0432回
次回の記事 ⇒ まち歩き中1531 京の通り・堺町通 NO8 仁丹・通り名町名看板
下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます
蔵のある風景 前回の記事 ⇒ 蔵のある風景城陽0431回 城陽 西畑地区
次回の記事 ⇒ 蔵のある風景左0433回 大原 土蔵
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き中1528 京の通り・堺町通 NO5 店・お菓子 町名・堺町御門前町
次回の記事 ⇒ まち歩き中1530 京の通り・堺町通 NO7 路地
下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます
ホームページより
創業は、承応年間といわれ当時から御所や大徳寺、茶道の家元などに和菓子を納めてきた。その伝統はいまも続いている。
代表的な銘菓の味噌松風も、大徳寺住職だった江月和尚だったと伝えられる。
ちなみに、江月和尚の没年は、当店創業の十年ほど前の寛永二十年だから、
和尚からこの菓子の製法を伝授されてから店を開いたことになる。なお、現当主で十六代目。
創業以来、家族だけでやってきた店ですから、その意味では一子相伝ということです。
菓子のつくり方も、燃料が炭から電気に変わっただけで、それ以外は昔のままです。
代々、先代の製法を見よう見まねで覚えてきたわけでして、それは今後とも変わることはないでしょう。
頑固といえば頑固ですが、お客さまの側もそういう味を好まれる方が多く、
気にいった人たちに喜んでいただければ、それでいいと思っています。
明治天皇さんも味噌松風がお好きだったようで、ご成婚二十五周年の祝典には献上し、
宮内省から感謝状をいただきました。
昭和天皇さんもご同様にお好きで、
京都御所にお越しの際には当時の入江相政侍従長さんがじきじきに店に来られたこともありますし、
いまの皇太子さんも「お祖父さまにおみやげにする」言われて、お買い求めになられました。
そういうことも、えらいありがたいことやと思っています。
堺町御門前町 は 地図帳には載っていない ここらあたりは 橘町(中京区)
橘町は上京区にもあります。
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き中1527 京の通り・堺町通 NO3 民家・この囲いは・・
次回の記事 ⇒ まち歩き中1529 京の通り・堺町通 NO6 蔵のある風景0432回
下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き中1526 京の通り・堺町通 NO3 木造3階建民家
次回の記事 ⇒ まち歩き中1528 京の通り・堺町通 NO5 店・お菓子 町名・堺町御門前町
下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます
ホームページより
京都御苑・堺町御門前に店を構え、江戸初期より装束を調進し、
自家製仕立てから衣紋(着付け)まで一貫して携わっております。
当主は代々「丹波屋平七」を襲名してきましたが、
明治維新以後「黒田」姓を名乗るようになりました。
京都では葵祭・時代祭・稲荷祭・吉田追儺式などの装束を調進。
現在では、研究資料として博物館・大学からも依頼を受け、
有職故実に則った装束の調進に努めております。
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き中1524 京の通り・堺町通 NO1 京都御苑・堺町御門
次回の記事 ⇒ まち歩き中1526 京の通り・堺町通 NO3 木造3階建民家
下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き中1525 京の通り・堺町通 NO2 店・装束店
次回の記事 ⇒ まち歩き中1527 京の通り・堺町通 NO3 民家・この囲いは・・
下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます
御所の出入り。葵祭・時代祭・皇族 すべてこの門を使います
堺町通を南へたどります。京都駅まで続きます。
関連記事 ➡ まとめ029 京都御苑の門 9つの門
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き中1523 京の通り・柳馬場通 NO56 歩道に司の文字の石 町名・四丁目
次回の記事 ⇒ まち歩き中1525 京の通り・堺町通 NO2 店・装束店
下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます
ここは、裁判所の入口 西側
四丁目 とある町名は 元四丁目(上京区)とここだけ
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き中1522 京の通り・柳馬場通 NO55 竹屋町通
次回の記事 ⇒ まち歩き中1524 京の通り・堺町通 NO1 京都御苑・堺町御門