昨日は立川市の市制施行記念日である。昭和15年12月1日に立川は町から市になったのである。
ちなみに私は翌年の7月に生まれたのである。
その日を記念しての感謝状の贈呈式が市役所で行われた。
錦町からはあいあいパトロール隊、三小、七小の放課後子ども教室が受賞の対象となった。
立川市と市民の協働社会の実現への貢献に対する評価がその受賞の理由である。
協働参画型社会ということは言われて久しい。問題点や課題はないのだろうか。様々あるであろう。
近頃気になることがある。
市民の側から言えば、
参加する人が少ない。
多くの市民が自分の生活に閉じこもり、社会や世間に無関心、労を惜しむ等ボランティアや市民参画に背を向けているというのが主な理由であろう。
しかし、一方ではマンネリ化し、新鮮さに欠け、問題意識も持たず、なじみ客しか寄り付かない居酒屋のように仲良しグループだけの組織や団体も多いのではないだろうか。
社会的意義も持たず、魅力に欠ける組織や団体に人が集まろうはずがない。
一方、受け入れる側の行政にも問題がある。
一つの事業を展開する場合、社会的、時代的な要請や命題、課題が必ずある。それらに応えるためにより適した組織の形態や活動の目指すべき方向や展開があるはずである。それらを最適化することが所期の目的を達成するために必須の条件であると思う。
そのためには、理論的考察や事例研究を行うことである。それには専門的知識と経験が必要となる。
それらを行うのが正に行政の専門職の行うべき仕事であると考える。それを素人集団に任せるのでは確かな効果は期待できない。・・・勿論、それらに長けた経験豊かなプロにも勝る市民がいることも確かだが、極稀であり、活用するとすれば審議会等の委員として用いればよい・・・
リーダーシップとマネージメントの問題である。
行政はその専門性を生かしリーダーシップをとり、イニシアチブを発揮すべきである。
本来あるべき理念や考え方を基本に、それらを具体化し行動に移すためのマネージメントは市民の組織や団体に任せればよいのである。
ところが、市民のご機嫌を損じ、所期の目的が達成されないことを恐れ、市民におもねり、主体性を失い、本来の市の役割から逸脱している姿が散見される。議会にも選挙を恐れ同じような傾向がみられのではなかろうか。
変な意味で市民が主役となってしまっている。