今日の毎日新聞の「余禄」に、法制審議会で決まった、親権停止制度の創設に当たって議論された、親権に含まれるの懲戒権を論じる中で、江戸時代に出島に来た医師の次の文章を紹介している。
「注目すべきことに、この国ではどこでも子供を鞭打つことはない。子供に対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれないし、家庭でも子供を打つ、叩く、殴るといったことはほとんどない」
当時、西欧の国々では家庭でも学校でも子供のしつけや教育に鞭を用いていたという事と比較している。
以前にも触れたが、中江和恵著「江戸の子育て」でも、江戸から明治初期に来日した外国人から見た日本人の子育ての様子が紹介されている。
明治初期に来日した英国女性イサベラ・バードは日光から手紙で「私はこれほど自分の子供をかわいがる人々を見たことがない」と。
大森貝塚を発見した米国人モースは「世界中で日本ほど、子どもが親切に取り扱われ、そして子供の為に深い注意が払われる国はない」とも記している。
幕末にイギリスの初代公使として来日したオールコックは「赤ん坊はいつも母親の背中に負ぶわれているが、父親が子供を抱いて江戸の町や店内を歩いているのもごくありふれた光景だ」と書いている。
長崎出島のオランダ商館に勤めていたフィッセルは「私は子供と親の愛こそは、日本人の特質の中に輝く二つの基本的な徳目であると考えている」更に「子供たちの無邪気な行為に対しては寛大すぎるほど寛大であり、手で打つことなどとてもできないくらいである」と綴っている。
だからと言って、躾が甘かったわけではない。
児童虐待が躾を理由に・口実にして児童相談所等の介入を阻止している。そこで、親権のはく奪や停止が必要となるのである。
親権の停止や剥奪をしなければ子どもを守れないというのは何ともやりきれない気がする。
その原因は様々あリ、それを取り除くことが解決の根本だであろうが、地域が行おうとすれば、極めて困難である。
せめて、兆候を見抜き児童相談所等に通報することが地域でできることであろう。
子供たちが安心して過ごせる地域としていきたいものである。
余談だが、「子ども」なのか「子供」なのかふと迷ってしまった。
私は、以前は「子供」と書いていたが、青少年の健全育成に関する文書を見て「子ども」と書かれているのを見て、いまわ殆ど「子ども」と書いている。
ところが、毎日新聞の余禄には引用文以外の本文でも「子供」と書かれている。
どちらが適当なのか不安に感じた。
後で、その使い方について調べてみたい。