堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

志(こころざし)

2010年12月14日 | 日記

 地域のボランティア活動、ボランティア組織にについて考えていた時ふと思いついたことがある。
 それは、先日或るテレビ番組で鹿児島の中学生を相手に授業をしていたものである。
 内容は明治維新
の立役者である、西郷隆盛と大久保利光についてである。

 鹿児島では、圧倒的に西郷隆盛のほうに人気がある。

 西南の役で、大久保が西郷・鹿児島に兵を向けたことに大きく起因します。現に、西郷の銅像は多くありますが、大久保の銅像は皆無に等しい状況です。
 当然に中学生の間でもそうであった。
 様々な話の後、大久保が凶刃に倒れた時、懐に西郷からの手紙をお守りおように持っていたとの話がった。
 それは英雄のみ英雄の心を知るということだと思います。

 ともに、明治維新を戦い、古い幕藩体制を打破し、西洋列強に負けない、強い近代国家を建設しようという思いは共通だったということでしょう。
 ただ、その目的を達成するための、手段や方法、戦略や戦術が異なったことが悲劇を生んだのでしょう。

 その授業の中で語られたのは、西郷と大久保は志を同じくし、強い共感をお互いに感じており、心の中で同志としての絆があったということです。
 授業の中で、夢について問いかけられました。夢も、単に~になりたいではダメである。~のために~になる。世界平和を建設するために語学を学ぶであれば、世界平和建設が志であり。夢は常に志を伴わなければならない。志を伴わない夢ははかないものに終わってしまい、単に個人の願望にしか過ぎないと。

 個人主義の強い現代、利己主義者ではなく、いい意味での個人主義者でも志などというと古いという人が多いが、現在の様々な社会問題もこの辺に原因の一つがあるのではなかろうか。
 これは単に個人だけではなく、広く団体・組織にも言えることだと思う。