堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

有馬記念

2010年12月26日 | 日記

 今日は有馬記念、このレースだけは毎年買う。
 三連複を買ったが、11は買えない。
 ギャンブルは殆どやらない。
 三十代まではパチンコはやったが、今の機械ではとてもやる気がしない。

 昔、本当のギャンブルとは、ほとんど偶然性に左右されるものだということを聞いたことがある。ルーレットにしても丁半賭博にしてもそうである。

 その点から考えれば、競馬や競輪は色々考える余地があり、データを基にした推理を働かせることができる。
 しかし、偶然性もかなり高い。

 もともと私の性格からいって、データを集め、推理し一定の結論を出すことは嫌いではない。
 やり始めれば深みにはまるのが目に見えているのでやらないようにしている。

 買わないが、競馬を見るのは好きである。
 特に、TVが液晶に代わってからは、馬体の美しさは見事である。鍛え抜かれた機能美はまさに芸術作品である。
 競輪に比べ、その華麗さは比較にならない。

 競輪・競馬、いわゆる公営競技は厳しい。
 特に競輪は全国的な傾向からしてかなり厳しい。立川市でも嘗ては競輪財政でかなり潤っていた。

 もともと戦後復興の財源として認められたのが公営競技・公営ギャンブルである。その使命を果たした後は、都市基盤の整備に大いに役立った。
 もし、仮に、赤字に転落するようなことになり、一般財源を使うようになれば、何のための競輪かということになる。
 終止符を打つにしても、従事員の問題も含め多額の費用が掛かる、当然、幕引きの準備をしているであるが、市民に対しては何の説明もなされていないのではなかろうか。