今回のネタ元は、ツイッター側でも紹介したこの記事になります。
リンク先を読んでいただくとわかりますが、なんかカトリックが新しい七つの大罪というのを作った。という内容になります。
これを守らないと、あるいは置かしてしまったことについて後悔し、懺悔をしないと「永遠の死」という名の地獄に落ちる。とカトリックでは解釈しているそうです。
ワタリ、基本的にはアンチカトリックです。
だって、しょせんツインの敵対者につながる存在だし、カトリックのせいでどの位神々が潰されたかわからないから。
でも、認める所は認めるわけで、こうやって新しいものを作ることで脅し、善行を行わせようとするすごく古典的な手法を守っている件に関しては、大いに評価しています。
ま、結局褒めてんだかけなしているんだかわからない書き方になっていますけどねwww
でも、文中で気になったのは、「永遠の死が待っている」ってことなのね。
永遠の死という事は、すなわちもう転生も何もない状態のことですがアセッドマスター化とは全然違うのよね。
なんていうかさ、フォーカスエリアの囚われ領域の2段目にずーっと閉じ込めておく感じなんですよ。
やり方としては、永遠に生きるのを得る権利を得た奴らと同じね。
特定の神を信仰したくらいじゃアセッドマスター化なんてできるわけもないのに、永遠に生きることを望む感情が強すぎて、永遠に同じ事を繰り返す場所に行く羽目になる。
そこは確かに永遠に生きる場所になるでしょうけど、あくまで同じ事の繰り返しだから、本当の意味での幸せじゃないんですよね。
で、散々話をしてますけど、ワタリはやっぱり裏事情はともかくとして、こんなことしか提供することができない宗教って、おかしいと思うんですよ。