小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

十二月二十二日、十二月二十三日

2015-12-18 | 嘉永二年

「十月二十二日」 
温かく天気の良い一日。今日は節分。
清吉が来る。昼飯を食べて風呂に入って帰った。
夜は宿で寄り合い酒を飲む。
良蔵に餅を買いにやる。
少々、おなかが痛むので先に寝た。

「十二月二十三日」
今日も良い天気。
主人は山中殿へ行く。小梅が描いた十五枚の画を山中殿宅の若者に贈った。
いつも書を読む傍へ来て、おとなしく書物好きに見えるので上がれと言われるままにお邪魔し、酒飯までよばれたとのこと。
夕方に田中嘉八が礼にきた。二朱の酒券を持参。
そこへ主人が帰って来たので一杯やることになった。
「上九」で取口を取り寄せ、鶏の吸い物作ってを出す。
10時前まで話をした。


 節分 旧暦では新年を迎える儀式として12月12~28日頃に行われていた。
 明治維新で新暦になり立春が2月になったためにその前日が節分とされた。
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