ネットで断捨離ブログを漁った一日。
「もったいない」観念は罪悪だという。
使わないままどこかに仕舞い込んでおくのは生き殺しということなのかな?
「筆記用具はボールペン一本で」とか「三本に絞ろう」とかだって。
でもね、筆ペンもいるし、贈られた高価な万年筆は捨てられないし、色鉛筆セットも時には必要でしょう。
万年筆にはそれ用のインクがいるし、その都度買いに走るのはしんどい。だいたい、文房具屋さんもなくなっている上、田園地帯に暮らしているとコンビニへ行くのも車がいるもの。
かってテレビドラマのシナリオを書いていた関係から箱一杯の鉛筆がある。
当時は手書きだったから鉛筆がふえた。何本もの鉛筆を削ってから書き始めた。HBでは手が痛くなるって追いつかないから段々と柔らかいものに変わっていき6Bまで使って掌の小指側が真っ黒になった。さらに書いては消しの繰り返しなので消しゴムの滓が机一面に広がったものだ。短くなった鉛筆はキャップなどしたが鉛筆削りが使えなくなると寿命なのだろうけど、それでも捨てられずに溜まってしまった。削る手間が惜しくてシャープペンシルも多種多様購入した。その替え芯もたっぷりある。
休み毎にやってくる孫たちが帰った後には数本の鉛筆が残っているしいまだに鉛筆は増え続けている。
でも、もう一気に捨ててしまう時期なのだろう。パソコン、メール時代なのだから二度と使うことはあるまい。
「もったない」心があると自分の手で捨てるのはひどく辛い。罪悪感がある。ま、いつかは誰かの手によって捨てられるものたちなんだけど。
2本のモンブランは捨てられない。捨てるというのは思い出も破棄するものだとしたら随分と断捨離も残酷なんだと思う。
明日はその思い出だらけの「紙」類の整理だわん。
「もったいない」観念は罪悪だという。
使わないままどこかに仕舞い込んでおくのは生き殺しということなのかな?
「筆記用具はボールペン一本で」とか「三本に絞ろう」とかだって。
でもね、筆ペンもいるし、贈られた高価な万年筆は捨てられないし、色鉛筆セットも時には必要でしょう。
万年筆にはそれ用のインクがいるし、その都度買いに走るのはしんどい。だいたい、文房具屋さんもなくなっている上、田園地帯に暮らしているとコンビニへ行くのも車がいるもの。
かってテレビドラマのシナリオを書いていた関係から箱一杯の鉛筆がある。
当時は手書きだったから鉛筆がふえた。何本もの鉛筆を削ってから書き始めた。HBでは手が痛くなるって追いつかないから段々と柔らかいものに変わっていき6Bまで使って掌の小指側が真っ黒になった。さらに書いては消しの繰り返しなので消しゴムの滓が机一面に広がったものだ。短くなった鉛筆はキャップなどしたが鉛筆削りが使えなくなると寿命なのだろうけど、それでも捨てられずに溜まってしまった。削る手間が惜しくてシャープペンシルも多種多様購入した。その替え芯もたっぷりある。
休み毎にやってくる孫たちが帰った後には数本の鉛筆が残っているしいまだに鉛筆は増え続けている。
でも、もう一気に捨ててしまう時期なのだろう。パソコン、メール時代なのだから二度と使うことはあるまい。
「もったない」心があると自分の手で捨てるのはひどく辛い。罪悪感がある。ま、いつかは誰かの手によって捨てられるものたちなんだけど。
2本のモンブランは捨てられない。捨てるというのは思い出も破棄するものだとしたら随分と断捨離も残酷なんだと思う。
明日はその思い出だらけの「紙」類の整理だわん。