小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

嘉永六年(1853)に向けて

2018-02-01 | 嘉永六年 癸丑日記

年頭から嘉永六年に入るつもりでしたがなかなか思い通りにはいかなくて一月遅れとなりました。
日記とは言え、小梅さんにはメモ感覚の覚え書き程度だったようです。
それにしても結婚した16才から82才(明治18年)まで毎日記録し続けるとは大変なことであり、幕末から文明開化までの生きた記録として貴重な資料だといえましょう。
但し、原本が残っているのは三分の一程度だと整理されたお孫さんが書いておられます。
基本的には半紙に小筆で書かれていましたが、反故紙やちり紙など身近にあった紙に書き付けたことも多かったようです。
また、事実の記録が多く感情的心情的なことはあまり書かれていません。
さらに当然ながら登場人物の数が多くその関係も書かれていないので(人に読ませるためではないので当然ですが)前後から推測するしかなく意味不明な点も少なくなくてすまないことです。

徳川御三家の筆頭として維新前後の歴史上、紀州藩も揺れています。
嘉永6年はそれが顕著に現れ始める年。藩も川合家も財政が圧迫されていきます。藩校の教授であり儒学者として著名な婿である夫の豹蔵は禄高からいえば下級武士。
当時の武士一家の暮らしの程度もこの日記から窺われます。

川合家の日常生活は豹蔵と雄輔(岩一郎)の学習館への出勤、出稽古、家塾での稽古、研究会、親戚・知人との交際が殆どです。家塾には住み込みの書生もいたことで主婦としての小梅は多忙。その合間に歌を詠み絵も描きのインテリ女性でした。来客も多くたいてい一杯出して一緒に楽しむ小梅さんのアンテナは世の中の移り変わりをメモして残してくれたのがこの日記だと思います。

「主な登場人物」

川合小梅(嘉永6年当時 50才)
紀州藩校「学習館」の助教を勤める川合鼎を父と母の辰子との間の一人娘。
5歳の時に父が病死し、祖父の川合春川(儒学者)9と辰子によって育てられた。春川から漢学、辰子から和歌を学び、絵を野際白雪に師事。
祖父の意向で16歳で10歳年上の梅本豹蔵を婿に迎え結婚。30歳で一人息子の雄輔(岩一郎)を生んだ。
夫婦仲の良い、しっかり家のことを采配するいわばインテリ専業主婦。

川合豹蔵(後には梅所)
 嘉永6年当時60才。留守居物頭格、30石。
小梅の夫。紀州藩士の梅本五兵衛の長男。幼名は修。豹蔵から梅所と改名。
藩校学習館の教授で後に学長となった。心優しい督学の人。

川合雄輔(幼名 岩一郎)嘉永6年当時は20才。
 小梅の長男。学習館の助教から儒者の道をいく。
維新後は小学校教師。
妻の鹿野との間に五女一男をもうけた。初孫が安政5年(1858)に誕生しているので結婚はその前だろうが、日記の欠損している時期(嘉永6年から安政6年までの5年間)なので詳細は不明。


梅本家(豹蔵の実家)の人々
 梅本藤四郎(豹蔵の弟)支配勘定・作事見回役
   息子 千太郎(良太郎)、万次郎(野口家へ養子)
 梅本浅之助(山本寛蔵・豹蔵の従兄)
   浅助 浅橘(豹蔵の従兄)の息子

弟子や生徒、お城関係の人々、親戚関係、出入りの業者など無数の人たちが登場し、圧倒的に立場や関係がわからないことが殆どでご容赦ください。


コメント
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