切り絵

浮世絵を切り絵に

東海道五十三次 小田原

2019年10月12日 | Weblog

小田原

江戸時代、小田原を流れる酒匂川には橋がなかった。旅人は渡し場から川越し人足によって川を渡る様に法で決められていた。雨が降り続き、水深が胸あたりになると、川留めとなった。川留めは、旅を急ぐ人々にとって大変な難儀であった。東海道を上方へ向かう旅人は、農家で泊まったり、野宿して川明けを待ちわびた。対岸には北条氏の居城三層四階の小田原城が見え、遠くには箱根連山が連なる。

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