「相州梅澤左」
相州梅澤は、東海道の宿場町で大磯と小田原の間にあった。名にあるとおり、梅が名物だった。富士をバックにして、地上には5羽の鶴が身を休め、2羽の鶴が飛んでいる。鶴と富士とを組み合わせた図柄は、縁起物として重宝されたので、北斎もこの絵を、正月用として描いたものだろう。名前の梅澤左の梅が名物の処で左は、「庄」又は「荘」の誤彫ではないかと言われている。
春日井市在住、1935年私的な挿絵等に全て自由にご使用ください。
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