ちょいボケじじいの旅・酒・エーとそれとね

毎晩酒を愛で古き日本と温泉を愛す、少し物忘れも出始めた爺が、旅日記やコレクション自慢などと、時々の興味のままを綴る。

17日(火)  モン・サン・ミッシェルへのバス旅行

2008-09-01 11:11:21 | 旅日記

 同行の観光客には日本人も多くてガイドはスペイン語と英語を話す女性と日本語専門のオバチャンガイドが乗込んできた。パリからの道筋はほとんどが高速道路で乗用車の制限速度は130km、バスは100kmと差をつけているのは合理的、乗っている感じでも制限速度を守って途中一ヶ所だけパーキングエリアのトイレタイムをとっただけで350kmを5時間も走ってモン・サン・ミッシェルの遠景が見えれば高速を降り、暫く走って目的地直前にあるホテル兼レストランでこの旅行のセットになっている名物オムレツを前菜にしたコース料理の昼食を食べる。飲物はシードル酒がグラス一杯程度だけついているのはご愛嬌、この地はノルマンディーとブルターニュの境にあり、これらの地方は海が近くて湿気が多くブドウ栽培していないのでワインでなくリンゴから作るシードルが有名なんだそうだ。メインは魚料理だったけど感激するような料理ではありません、ノルマンディーは酪農が盛んだそうだからチーズなども付けて欲しいもの、何か物足りなくてフランス料理ってこの程度ですか、観光地の団体客用食事は日本でもこんなものかもしれませんね。バスに再び乗ってすぐ目の前の城壁傍まで到着、ここまでは取付道路ができているため昔は干潮時だけ渡れたものが干潟化していて周辺に海水は見られなくなり、海に浮かぶよいうイメージはない。世界遺産として有名になって昔の姿に戻そうと道路を橋に変える工事をしているそうだが予算が厳しく難航しているとガイドさんが話していた。バスの日本人団体客は十数人で正門を避けて裏側から入って一周することになり、要所要所で説明を聞きながら回り始める。僕の袢纏姿に格好いいですねぇとガイドさん、先ほどパンキングエリアで日本語で自動販売機の使い方など新設に教えてくれた小柄な娘さんもそういうのを持っていますというのでよく聞けばチャンチャンコのことでしたね。これは昔の日本の店員が商売で着ていたアンティークだと説明すれば変に感心する、なんでも高校生で日本留学したとかで、この旅行のガイドになる勉強をしているそうだ。お日様の当るところは暑く感じるものの重厚な石造りの内部はヒンヤリするのでこれを着てきたのは正解ですね、でも日本人の観光客には奇妙なオッサンと思われたことでしょう。あまりにも有名な観光地となって我々のバス以外でも日本人が多いこと多いこと、1/3が日本人じゃない、日本人だらけねという女房の言に納得、そのうち占領してしまう勢いですねぇ。ベテランガイドの説明は詳しかったと記憶するがあまり頭に残っていないほど全体が凄い建物、フランス革命後一時は監獄としても使われたというのを19世紀ビクトル・ユーゴーなどがフランスのピラミッドと呼んで監獄に使うのはフランスの恥と貴重な遺産の復活を呼びかけたのはさすがです。この建物群は大きく修道院本体(これも二つの時代に分かれる)と下部層に建ち並ぶ集落に百年戦争時代に造られた城壁の3つが集まったものだそうだが、手前の町アヴランシュ司教オベールの夢の中にセント・ミカエルが昔は島だったここに聖堂を建てよというお告げで礼拝堂を建てたのが始まり、その後ベネディクト派修道院が建てられ中世カトリックの聖地として巡礼者を集めるようになり増改築が加えられて今の威容までになった。一番頂部にある象徴のミカエル像は遺産として復活のシンボルとして新たに作られ、ヘリコプターで取り付けたとは聞かなければいにしえの技術に感心するところでしたよ。ガイドさんの説明で初めて知ってなるほどと感心したのは、古い教会というのは入口は西側に設けられ、祭壇は東側になるのだそうで、キリストのいたオリエント方向から光がくるのだと、光はオリエントからというのはこのことだったんですか。また巡礼者でも貴族と貧民では寝泊りした部屋の誂えや暖房設備など格段に差があったんだそうです。で、修道士はというと冬でも普段は暖房もしないで貧民並みにストイックな修行暮らしをしていたそうで、さすがに感心なこと。修道院見物の最後は司教オベールの伝説を裏づけるもの、アヴランシュの教会の秘聖蹟となっているといわれる頭蓋骨の写真に本当に孔が明いていると、これ本物かと半信半疑で坂道に出てきたのはクリスチャンじゃありませんから。この修道院の内部では上層の空中庭園と回廊周辺もいいけれど下部層の空間が上階の重い石の重量を受けて岩盤と石組を融合させ場を占め、空間を狭めて薄暗く圧迫され神秘的でいいですね。ということで外に出て坂道を歩いていると、格好いいねぇ油屋さんと声をかけてきた日本人がいる。なんじゃと顔を見ると見覚えのあるタレントの湯原昌幸、TV撮影で来ていたらしく撮影が終ってスタッフと戻る途中奇妙な格好をしたのが歩いてきたので向うから話してきて、先の方を歩いていた奥さんの荒木由美を呼び戻して我々夫婦と4人一緒に記念撮影するなんてことがありました。荒木由美って奇麗ですねぇ。その後は今は土産物屋やカフェレストランとなっている中世の雰囲気が色濃い集落を散策、城壁の上を歩いて当時の砦を除いたりして約3時間の見物が終了して4時半のお帰り時間、さすがに見応えがありましたねぇ。帰りの方がやや順調だったのか9時前にシティラマ社前に到着、もうスーパーも閉店後になっているはずだからと昨日準備よく作り置きしたもので晩飯を間に合わせ、長い1日の終了です。


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