
現軽井沢町には江戸時代中山道の三つの宿場町があって、それらは東から軽井沢、沓掛(今の中軽井沢)、追分であるが、この中では今も昔の宿場の雰囲気が幾分かは残っているのは追分だけになってしまった。その追分宿では今回で27回目というしなの追分馬子唄道中という催しが22日の日曜日に開催され、全国の追分節の発祥の地として馬子唄に乗せて当時の出立の一団が宿場を往復するのを見物に出かけた。
まずはそんな江戸時代の名残を残すものや良き戦前の息吹を感じさせるものを巡ってから、馬子唄道中の一団の出発を待つことにして、旧追分宿の通りを一往復してみた。
一里塚が残る
現R18から分かれる旧道東側入口
旧道に入って新しく茅葺きの建物ができていて、何かの文化財移築かと聞いたら焼肉店になるらしいと
追分節発祥の地の記念碑
芭蕉句碑もあって、「吹き飛ばす 石も浅間の 野分哉」 の句が、奥はこの祭りの舞台
宿場の中間ぐらいのある堀辰雄邸
廃業した油屋旅館はこの日にいくつかの店が入って開店という再出発の日となった
右手は今はない旧本陣入口前で左手脇には高札場が
途中で出会ったゴールデンレトリバーにも遊ぼうのポーズのゴン太、でもやや腰が引けているかな
11時に出発予定という追分馬子唄道中は、ダラダラと15分強も遅れてやっと浅間神社前をスタートする。冒頭写真はスタートしたばかりの行列先頭をズームで写したものである。馬子唄道中というからには馬がいないと話にならない、ということで4頭が駆り出され、馬上の人物は町のオエラさんが務めているらしい。それに加えて車に乗る花嫁さんの5人が主役級で、これに町娘、飛脚、飴売り、籠かきなどが三々五々に続き、黄門様みたいな扮装の老人はやはり諸国行脚の徒歩ということですかね。その最後にはやや間を置いてチンドン屋というのがご愛嬌という構成は昨年同様であった。
先頭は殿様か代官様か
この荷車はなんじゃいな
神主さんも馬上にというのはよく見られること
花嫁さんのお相手は見られなかったから、これから嫁ぎ先にという設定でしょう
このグループには後ろには長持ちを担いで続き、その後ろの馬上の人は交通安全のタスキをかけていたのは何故
町娘?の後ろから黄門様風が格さんと助さんを従えて
この馬上の武士風人物は誰に扮しているんですか、後ろには旅芸人風が続く
飛脚はマジメに走っていく
子供には飴売りが飴を配って
小さな子供を順番に乗せていく籠かき役
最後にチンドン屋が
この催しには浅間神社境内でフリ^マーケットもやっていて、到着した最初に目ぼしいものがないか物色、結局買ったのは陶器の魔法瓶ポットとゴン太のおもちゃ用ぬいぐるみが100円ずつ、小さな三春駒(これは仙台の木下駒かも)が10円と、まぁこのくらいはこの祭りに参加しておかないととお付き合い程度だけ。昔は骨董屋も神社内のこの場所に参加していたが、今はこの宿場の通りにある店が前のテントにいくつか並べるぐらい、またそのほかの露店でも新手が少し加わって出ていたが、秋の工芸品まつりぐらいの中身にするにはたった一日だけでは無理ですかね。
境内でフリーマーケット、カブトムシとクワガタ販売は人気だったようだ
合計で210円