初めての伊豆箱根鉄道訪問は、1976(昭和51)年7月15日のことでした。
お目当ては、前年に西武501系が借り入れられ、その後正式に譲渡となった
こと、そして前から気になっていた、2003Fでした。
当時は、オリジナルの1000系が4編成、西武鉄道からの501系の他は、17m
旧型国電型が活躍していました。
1976年7月15日 三島駅 クハ76-モハ56-モハ62
先日の画像の再掲載になりますが、三島駅に到着していきなり、この編成に
出迎えられました。
クハ70形は、西武鉄道経由で入線したものもありました。
ただこの時期は既に廃車になりつつあり、先頭にでているのはこの クハ76
だけでした。
この後、大場工場を訪問する予定で、本社前を通っているとちょうど朝の
ラッシュ輸送を終えた車両が回送されてきました。
1976年7月15日 大場工場(本社) モハ57-クハ75-モハ59
工場事務所にて撮影の許可手続きを終え、撮影に向かうと、先ほど回送
されてきた編成が、良い位置に留置されていました。
画像では判りませんが、隣のモハ63の2両目には、サハ73が入っていました。
この後、西武501系が2編成入り、新型車3000系の登場により、駿豆線からは
国電型の車両は姿を消しました。17m車はその後の大雄山線の車両入替・
1500V昇圧に併せ、50・60形は大雄山線の5000系が増備されるまで活躍
しましたが、20m車は入線できませんので…
お目当ては、前年に西武501系が借り入れられ、その後正式に譲渡となった
こと、そして前から気になっていた、2003Fでした。
当時は、オリジナルの1000系が4編成、西武鉄道からの501系の他は、17m
旧型国電型が活躍していました。
1976年7月15日 三島駅 クハ76-モハ56-モハ62
先日の画像の再掲載になりますが、三島駅に到着していきなり、この編成に
出迎えられました。
クハ70形は、西武鉄道経由で入線したものもありました。
ただこの時期は既に廃車になりつつあり、先頭にでているのはこの クハ76
だけでした。
この後、大場工場を訪問する予定で、本社前を通っているとちょうど朝の
ラッシュ輸送を終えた車両が回送されてきました。
1976年7月15日 大場工場(本社) モハ57-クハ75-モハ59
工場事務所にて撮影の許可手続きを終え、撮影に向かうと、先ほど回送
されてきた編成が、良い位置に留置されていました。
画像では判りませんが、隣のモハ63の2両目には、サハ73が入っていました。
この後、西武501系が2編成入り、新型車3000系の登場により、駿豆線からは
国電型の車両は姿を消しました。17m車はその後の大雄山線の車両入替・
1500V昇圧に併せ、50・60形は大雄山線の5000系が増備されるまで活躍
しましたが、20m車は入線できませんので…
伊豆箱根クハ76懐かしいです。昭和44年初めに訪れた際にはクハ70型は
71から76まで健在でした。74は張り上げ屋根が美しく同じく張り上げのモハ
50と組んでいました。74はTR-23を履いていたと思います。
西武経由は72~76の5両だったと思いますが、西武の同型車が全て側窓
アルミサッシュ化されたのに対し最後まで木製窓枠のままでしたね。
それにしても西武が輸送量の大きい20m車を先に放出したのは謎です。
余談ですが、西武クハ1401(4扉車)も晩年TR-23に履き替えていましたが、
西武旧型車では唯一TR-11系以外の存在でした。
初めて伊豆箱根鉄道を訪ねたときにはすでに 72,74は
廃車になっており、71がサハ2006と組み替えられている
時でした。
伊豆箱根の車両は多くが晩年まで木製の窓枠でしたね。
西武独特のメタルサッシは311形が譲渡された、モハ51と
サハ81だけで、相棒のモハ66も木製窓枠でしたが、コデに
なる頃には廃車発生品からメタルサッシに替えられたよう
でした。
形式からしても、20mの70形の方が、17mの80形より先に
誕生しているのも意外ですね。廃車も早かったですが。
尾灯も多くが埋め込みに改造され、前照灯もシールドビーム
化されていたのにも、大場工場には驚いたものでした。